二千二百七十三(うた)小旅行外伝
甲辰(西洋未開人歴2024)年
三月二十一日(木)
昨日の仕事は、一時間のみだった。三時間未満の場合は、三時間分支払はれるので、有難いことだ。もう一つ有難い事は、仕事終了後に時間がたくさんある。と云ふことで、今回は中旅行と同じ扱ひになった。
八ヶ村落としに沿ひ歩くと、マルエツがあった。中旅行は昼にお酒を飲んでもよい。紙カップの「原酒ヨイトマケふなしぼり」を買った。20度で180ml99円(税込み)でお買ひ得だ。これを飲みながら歩くと、予想外のことが起きた。15度と比べて25%濃いだけなのに、回るのが早い。浸透圧と同じで、差が大きいと移動が速いらしい。普段は水を二倍飲むが、歩きながらなので飲まない。
ふなしぼり原酒ヨイトマケ 美味しくて濃くて安くてお買ひ得 回るが速くそれのみ注意

反歌  マルエツは我が家近くを撤退し久し振りにて懐かしさあり
Tカードは3ポイント溜まってゐたので使った。おそらくファミリーマートで買ったときに付いたのだらう。
昔、気動車は坂道に弱く機関は全開でエンジン音を轟かせ、車両はとろとろと走った。それと同じで、歩く速度が遅く(おそらく3Kmから4Km)になった。小生は普段6Kmで歩くから、4Kmを割ると気動車の登坂を連想する。過去にこれと同じ現象が一度だけある。正月に浦和から鶴見に蛇の餌をやるのと、年賀状が来たかと、パソコンを使ふために一人だけ戻った。お屠蘇と、それに便乗して日本酒を飲んだあと、当時はJR不乗車運動の最中だったので、地下鉄の和光市まで歩いた。この区間は何回も歩いたのでお馴染みだった。それなのに、お酒が回って気動車登坂状態になり、時間が掛かった。
予定では綾瀬を出発して、葛西用水、中川、垳川、綾瀬川に沿ひ、綾瀬に戻る筈だった。しかし速度が落ちたため、丁度半分の六ツ木都住からバスで綾瀬に戻った。
垳川の少し南側に、平行して花畑運河がある。なぜこんな近距離で並行なのだらうと調べると、興味深いことが分かった。掘削したのは昭和六年。荒川放水路が開通したため、中川が分断された。当時は、北関東から農作物が東京市内へ来るとともに、糞尿を肥料として送り出した。そのため旧中川の木下川水門が渋滞し、その対策で掘られた。
足立区はかつて田圃が広がりて 見沼用水東縁葛西用水二つにて 治水をするも今は使はず

反歌  バキュームカー昭和40年代は都内走るも今は廃れる(終)

三月二十二日(金)
二十度は十五度より25%濃いと書いたが、十五度から見れば33%濃く、日本酒は十四度か十五度が普通だから33%が正しい。なるほど回るのが速い訳だ。

「日本酒、その二十」「日本酒、その二十二」

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