二千二百七十三(うた)八か村落し、葛西用水、花畑運河、桁川
甲辰(西洋未開人歴2024)年
三月十八日(月)
本日仕事で綾瀬へ行き、帰りに八か村落し親水緑道を歩いた。インターネットで調べると、ほとんどのページが(1)葛西用水が源、(2)悪水を排水する、と書いてある。しかしこれは間違ひである。
まづ、悪水とは排水のことだ。見沼代用水では西縁と東縁に分流して、それぞれ田を潤した。そして排水は中間を流れる見沼中悪水(別名は芝川)で排水した。だから、農業用水からわざわざ悪水を分水する訳がない。地図を見ても、葛西用水の東側にも八か村落し親水緑道がある。
但し、葛西用水の西側と東側の両方が南へ向かふ。これは、一本の排水路ではなく幾つかの排水路が南に流れ合流したのではないかと思ふ。東側が西に向かふのなら、葛西用水を超えて繋がるのだが。
それに対し、東綾瀬公園は農業用水路跡だ。逆U字形だから、或いは八か村落しも逆U字形に流れたのかも知れない。本日は、八か村落しの途中から東綾瀬公園へ入り、そのまま逆U字形に歩く予定だったが、八か村落しをそのまま下流へ行ってしまったため、綾瀬駅から帰宅した。
公園のホームページには
公園西側の散歩道沿いには、花畑川を水源とするかつての農業用水を生かしたせせらぎが流れています。

つまり農業用水が逆U字形だったのではなく、逆Uの左側の部分が農業用水だった。同じくホームページに
かつては水田でしたが、区画整理事業から生み出された土地が都立公園となりました。

これは、逆U字形の途中にある三つのまとまった敷地のことであらう。
足立区は かつて田圃が広がるも 昭和四十年代に宅地化されて田は消えて 農業用水跡地が残る

反歌  足立区は見沼用水東縁更に東の葛西用水

三月二十日(水)
仕事は九時始まりだ。時間に余裕があるので、東綾瀬公園をほぼ一周した。五十年ほど前に、都立公園の一部が区へ移管された。哲学堂公園は、そのとき都立から中野区立になった。東綾瀬公園は規模が大きいとは云へ、ここが都立で哲学堂が区立だと吊り合ひが取れない。史跡としても学問の上からも東京武道館を除き、哲学堂のほうが遥かに価値が高い。
仕事終了後は、八か村落しを上流に向かひ、葛西用水との交差地点からは葛西用水を上流に向かった。足立区の設置した説明版で、八か村落しは葛西用水を超えて北側が上流であることが分かった。
花畑運河との交差地点を中川へ向かひ、中川に沿って上流へ歩くと、すぐ垳(がけ)川に至る。これも花畑運河と同じで、中川と綾瀬川を結ぶ。桁川を葛西用水との交差地点まで歩き、六ツ木都営住宅からバスで綾瀬駅へ戻った。
葛西用水は桁川と完全に合流し、しかし下流側は水門が開いてゐるのか分からないほどだ。帰宅後に検索しても、ここで農業用水の機能が無くなるとある。
垳川を越すと都内になるものの 合はせ分かれて水混ざり しかも下流は水門で流れ僅かに田が見当たらず

反歌  都内では葛西用水公園の機能のみにて僅かな流れ(終)

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