二千二百七十二(うた)常備駅と配置区所(続編)
甲辰(西洋未開人歴2024)年
三月二十三日(土)
常備駅と配置区所の特集を組んで、今回気付いたことがある。貨車の緩急車は、昔は配属管理局名と常備駅名を書いたが、後に配属の漢字一字と常備駅の略号(片仮名二文字)になった。
そのことから、常備駅の略号は、近隣に類似する駅があるときはそれに統合するのではないか。ハタやオオはその例だ。一方で、ムソやタミは近隣に類似駅名が無い。
別の解釈もできる。近隣に類似する駅があるときは、客貨車区名も表せるとしてそれに統合したのではないか。この解釈は、貨車の緩急車は一般の貨車と異なり、特定の客貨車区が担当する。一般の貨車はどこで検査を受けるか不定だが、緩急車は蓄電池があるから常備駅の客貨車区で検査を受けるのが普通だ。
ここで客車は、多客時に他の客貨車区に貸し出された。あちこちから集めた車両を、そこの駅常備の客車といっしょに運用した。そのため六十日ごとの交番検査標が、貨車と同じやうに紙製で付けられた。
小生はこれを見るのが趣味で、一両ごとに日付けが異なった。これは固定編成の20系、24系、12系、14系でも同じだった。例外として、どこかの12系だったか14系座席車だったかは、6両くらいの単位で同じ日付だった。どこだったか記録しなかった事が惜しまれる。その一回だけだったから普段見ない常備駅で、熊本かも知れない。寝台列車は熊本駅構内の客貨車区だが、それ以外は川尻だった。研修庫が新しいから、六両単位で交番検査をするのではないか。
常備駅配置区所とを繋ぐもの救援車代理貨車の車掌車

客車の救援車代理と、貨車の車掌車は、客車と貨車の中間に位置する。常備駅と配置区所の定義を繋ぐみたいだ。

三月二十四日(日)
向日町の客操は、向日町駅とは独立して向日町操車場(以下、向操)だった。駅も貨物を扱ふから、操車場の職員は駅所属ではないかと思ふ。似た例に東大宮操車場(以下、大操)がある。大宮駅とは離れてゐたが、大宮駅の担当だった。大操は機関車の付け替へと電車の構内運転しか行はないので、人数が少なくて済む。
大宮の隣は当時、東大宮でその手前に大操があった。後に土呂駅が開業した。すると大操にあった本線から側線への亘り線が無くなって、大操は大宮駅からのみ往き来できる袋小路になった。
国鉄が分割民営化されるときに思った。旅客と貨物を分けては駄目だ。これでは機関車の優位が崩れて、旅客は総気動車化、総電車化かるだらう。そして今、現実問題となった。
小生の鉄道趣味は、分割民営化で終はった。今、書くのはその前の情報だけである。
電車区と客貨車区とを繋ぐもの 運転区及び運転所 分割及び民営で繋ぐもの無くつまらなくなり

反歌  京都駅運転支所と長野駅運転分所昔の名残り
伊那松島機関区に配置された電車は、全般検査と要部検査の日付の近くに「ママキク(年月)休車(月数)」を書いた車両を見た。休車を繰り返すと、複数行になった。この表記はここでしか見なかった。或いは国有化の前からの習慣かも知れない。京都駅構内の向日町運転所京都支所、長野駅構内の長野運転所第一分所と第二分所も、昔の名残りだった。(終)

追記三月三十日(土)
今回いろいろな方面を書いたのは、これで鉄道の話題は一段落しようと考へた。あと一つ書くことがあった。元国鉄車掌の書かれた記事に、乗務係から車掌補は勤務年数、ここで試験を受けて車掌になるとあとは勤務年数で専務車掌、車掌長。前に乗務掛が車掌補と改名したと推理したが、階層を増やして車掌補を設けたやうだ。駅の構内掛を分けて、構内係、構内指導係にしたのと同じであらう。
階層を労働意欲向上に増やす或いは組合対策


メニューへ戻る うた(八百十二の一)へ うた(八百十三の一)へ