二千二百二十(和語優勢のうた)日本語漢詩のすゝめ
新春前癸卯(西洋未開人歴2024)年
一月二十五日(木)
漢詩は、日本語にはない熟語を使ふ。字の意味も、日本語とは異なるものがある。そして一番の問題は、日本から優れた漢詩人が出ないし、出ても普通の人はどこが優れるか分からないから埋もれる。
そこで日本語漢詩を提案したい。漢詩と同じやうに、漢字を中心にする。一行は漢字が、五字または七字。早速作ってみた。
新年を迎へても春は来ない
賀状には新春とも書く
新暦前の習慣
先日大寒を迎へた

一行に漢字が五つまたは七つあれば、それ以外に制約はない。今回は五言絶句や七言絶句に倣ひ四行にしたが、長詩でもよい。
新しき年を迎へて春は来ず 挨拶ふみは春と書く 江戸の世からの続きにて 四日前には大き寒さに

反歌  真名五つまたは七つを四つ条(すじ)で大和の詩(うた)を作る試み

一月二十七日(土)
先日の三島旅行を回想し、七言で作った。
三島で多くの湧水に出会ふ
富士の山肌に浸み込んだ水
公園と農業用水を潤し
市民と観光客の目も潤す

この詩は五分以下で作った。規則があれば作り易い。規則が無いと時間が掛かる。

一月二十八日(日)
日本語漢詩を国際派にする方法もある。二十六日の「来ない」は、中国人や、ベトナムや朝鮮半島で漢字を読み書きできる人(仏法関係者に多いか)には、否定だと分らない。否定は「不」や「無」を使へばよい。二十五日のものを修正すると
新年でも春は不来(来ず)
賀状には新春とも書く
新暦前の習慣
先日大寒を迎へた

更に発展させて、一ニを付ける方法もある。
新年デモ春不
賀状ニハ新春
新暦前習慣
先日迎大寒

中国人や、一部のベトナム人韓国朝鮮人がどう思ふか(下手な文章だ、文法が変だ)は気にしない。日本人の作った詩の、意味が通じることが重要だ。

一月二十八日(日)その二
「日本語漢詩のすゝめ」は、小説を廃語にして物語にすべきと云ふ主張と同じ流れで現れた。明治維新以降、小説と云ふ語が日本に入り、鴎外、漱石、龍之介など一流の小説家が現れた。しかし今ではどうだらうか。書籍を販売したい出版社が、芥川賞だ直木賞だと騒ぐだけで、佳い作品が出てこない。これは小説と云ふ名称が悪く、明治維新以前の物語に戻したほうがいい。
同じやうに、西洋詩の真似をした詩も、かつては有名な詩人が出たが、今はほとんど出なくなった。今後は、西洋式の詩を縮小し、日本語漢詩にすべきだ。
物語漢日本語漢詩で我が国の文芸復興歌と併せて
(終)

(2.05追記)当初、漢字詩(日本語漢詩)としたが、日本語漢詩に修正した。歌中の造語はよいが、一般文の造語は避けることにした。

日本語漢詩(その二)

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