二千百七十七(和語優勢のうた、和語のうた)練馬、綾瀬
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
十一月二十七日(月)
本日は、練馬区に仕事で行った。ここは暖房が無い。十二月からは五百円の手当てが出る。
今日の部屋暖かさ無く 厚着にて寒くは無くも 手当には四日前にて不満が残る

反歌も作ったが、内容が悪く削除した。
六車線環八通り 乗り合ひの車走らぬ区間あり 練馬の地図を見るうちに 年隔たぬが故だと分かる

反歌  四辻の周りを二(ふた)重三(み)重の道四組がありて家並み囲む
鶴見に住んでゐたとき、環七は東急、都バス、国際興業などバス路線があるのに、環八は無い。このときは、環七は沿線住民の生活と関りがあり、環八は構造が高速道路に近く沿線住民と関りがないためだと思った。
最近は仕事で、赤羽から環七や環八を走るバスに乗ることがときどきある。そのとき思ったのは、環八は春日町から西にバスが無いことから推定し環八のあの辺りは生活と関りが無く、その手前は笹目通りが分岐(従って交通量が少ない)したため、どちらも無いのだらうと思ってきた。
しかし本日練馬区の地図を見て、バスが走らないのは春日町と笹目通り分岐までで、両端はバスがある。つまり、道路が開通して年月が経った区間はバスがある。春日町から分岐点までは、それほど経過しないのでバスが無い。春日町から東側も、それほど経過しないが、交通量がそれほどは多くないことと、若木トンネル効果だ。
自衛隊練馬駐屯地南端の交差点は、駐屯地以外が同心円の道路になってゐる。その東方の交差点と、更に東と、四組ある。

十一月二十九日(水)
本日は、古隅田川の足立区側に勤務した。それにしても偶然が重なるもので前回の古隅田川上流だ。下流に向かふと、綾瀬駅東方の線路を潜るところまでは暗渠だ。橋の名を記したコンクリート柱が、元は川だったことを示す。線路のガード下を超えると、水路が出て来た。下から水が湧く。
銀杏の木まだ緑にて 住む人はもも歳近い老爺にて 今までに無き出来事と云ふ

反歌  日光へ国の道行くコンテナと大きな車危なき道に
反歌  もも歳を生きる人には荷車や馬や牛などかつて見た道
隣の落葉を掃くお爺さんは、もうすぐ百歳だと云ふ。庭の銀杏がまだ緑なので驚き、日光街道はコンテナの大型車が多くて危ないと話してゐた。
仕事終了後に逆方向へ進むと、区役所が立てたと思はれる説明板「蒲原村宿駅伝説」がある。寛政六(1794)年に出版された「四神地名録」に、川に沿った北側の蒲原村は昔の駅で今も宿と云ふ地名があり、業平が「名にし負はば(以下略)」と詠んだのはこの辺りで今、隅田川と称する地域は二百四~五十年前は海だった。説明板には、かう書いてある。
実は、古隅田川があることを知って、業平が詠んだのは小菅万葉公園の辺りではないかと思った。理由は今の、言問橋や業平橋の辺りは海だった。昔も、同じことを考へる人がゐた。
業平が歌の詠み場は小菅から綾瀬亀有この辺りかな

少し進むと、葛西用水と交差する。今朝読んだホームページに、葛西用水は古隅田川から下流は流れてゐないとあった。それより葛西用水と交差したことに気付かず、戻ったが同じだった。南北方向に移動すれば分かったかも知れない。惜しいことをした。
利根川の水を見沼と葛西へと葛西用水今越えて立つ

中通り商店街と云ふ、下がレンガ風で感じの佳い小路と交差した。この小路こそ亀有駅前商店街だらう。さう思ひ突き当りまで行くと右折しその先で大通りに突き当たった。高架の線路まで行くが、駅はどこだか分からない。屋内商店街の案内図があり、屋内の東端が駅だ。無事駅前に出て、北側に戻りバス乗り場を一巡した。東武バスの王子駅行きは一日二往復。他に平日のみ区役所雪が一往復。かつての都バスはずいぶん寂れた。環八で足立区役所迄は需要があると思ふのだが。
囲む環の八号線で 亀有を区役所までは 乗る人が多い筈だが少ないは 足立区に無し中の重みが


十二月十三日(水)
本日は練馬区だが、十一月二十七日とは別の場所だ。ここは暖房がある。練馬で仕事にメモ書き歌を作った。

十二月二十七日(水)
本日は十一月二十九日に勤務した所だ。斜めに流れる八ヶ(はっか)村(そん)落(おとし)堀(ぼり)跡を利用した親水緑道がある。説明板を見ると悪水路とある。排水路のことである。田圃の用排水には、上の田で使った水を下の田で使ふ方法と、用水で田に入れて悪水で排水する方法がある。見沼代用水や葛西用水は後者だ。
古隅田川を経て、葛西用水にも寄った。思ったより多い水量だ。ここも緑道として整備されてゐる。少し往復したあと、帰宅した。
田から出る使ひ終はりの水落ちる堀の跡見て 田へ送る葛西の水も見たあとに 道は違へど仕事あといつもと同じ家路を急ぐ

反歌  細長い東綾瀬の公園も用水跡を今に伝へる
反歌  足立区と大宮浦和川口も見沼と葛西水で繋がる
利根大堰で取水した水は、見沼代用水と葛西用水に別れる。そして下流は大宮浦和川口と足立区へ広がる。東綾瀬公園は行かなかった。だがインターネットで調べると、用水跡を利用して作られたらしい。古隅田川みたいに蛇行する。(終)

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