二千百七十(和語優勢のうた)堀切、小菅水再生センター、小菅神社、小菅万葉公園
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
十一月二十日(月)
先日は堀切の現場だった。ひと仕事のあと、暖かい飲み物を飲まうとすぐ近くの自動販売機へ急ぐと、全て冷たい。少し先の販売機も同じだ。その先に、初めて見る商店街があった。ここで暖かい飲み物を買ふことができた。
堀切に 商ひ店の街見つけ進み戻るも 国の中ある街並みと変はらずに 家と閉じたで店は少なし

反歌  駅(うまや)から来る裏通り短くも商ひ店がほどほど残る
反歌  駅(うまや)から近く飲み食ひ店並び街の賑はひ此れにて保つ
堀切は菖蒲園が五つくらいあったが、今は一つのみ。
堀切にかつて菖蒲の園多し その一つにて赤彦が詠みたものあり歌綴り載る

反歌  戦負け食べ物が無く菖蒲抜き田畑に変へて園今一つ
仕事終了後に、小菅万葉公園を目指した。小菅小学校と綾瀬中学校が対面する間の道路を西に向かひ、まづ小菅水処理センターの屋上部分にある小菅東公園へ行った。ここはスポーツ公園の触れ込みだが、行ったのは日本庭園だった。あと芝生広場を少し歩いた。それより綾瀬川の西岸にも小菅水処理センターがあり、屋上に小菅西公園がある。
お手洗ひそのほか水の汚れ取り川へ戻すの所では 上に広場が大和型園を見回りここを発ち 社に寄りて一つ場は榊の形石に掘りこれは何かと思ひつつ 罪犯したの人入る建物があり その横によろづ葉名乗る園ありて 昔読まれた古須気(こすけ)に因む

反歌 綾瀬川上を車が速走る下は社に昔を思ふ
反歌  荒川の上を車が速走る下は園にて堀にて隔つ
水再生センターは、綾瀬川の両岸にあり多数の連絡管で効率を上げ、大雨の時は片方を雨水貯蔵に使ふさうだ。社のすぐ上に高速があるのは、かつて立ち寄った水神社を思ひ出す。三つ並ぶ鳥居の左二つは摂社だ。右は榊の形を石に刻み、お祓ひの場所とインターネットにある。
小菅神社の先で、橋が見えるもののそのまま綾瀬川の東岸を進むと、地名が綾瀬に変はる。行き過ぎたことに気付き、橋を渡った。往復で100mの損失で済んだ。古(ふる)隅田川に沿って、小菅と綾瀬に別れる。橋を渡ると、小さな石で出来た社と灯篭二本、石製の手水が地面に置かれ、台座の跡が二つある。説明に、八幡社を橋工事で解体し小さな石で出来た社にしたとある。古い写真では、小さいながらも境内と樹木を持つ神社だったのに残念だ。
綾瀬川沿ひて進むと小菅から綾瀬に変はり 行き過ぎに気付き戻りて橋渡る 下に小さな社あり石で作られ 元は木と所を持ちた社にて橋作るため壊され石に

反歌  小菅から綾瀬に変はる境には古隅田あり武蔵の境
古隅田川は、武蔵と下総の境だった。武蔵国足立郡と下総国葛飾郡だから、今でも足立区と葛飾区で境に変化はない。橋を渡り先へ進むと、銭座跡の説明板がある。背後で体育の授業か球技を英語で説明してゐる。アメリカンスクールかと歩いて校名を見ると、区立小学校だ。こんなことをやってゐたら、欧米猿真似に育ってしまふ。その先に、東京拘置所が見えてきた。
東京拘置所は、まづ面会所への入口前を通った。入所や出所する人もここから出入りするらしい。道路の反対側に、差し入れ屋がある。拘置所が凹むと老人介護施設がある。その先を曲がると、拘置所の正門がある。それを過ぎ拘置所の角の先に、小菅万葉公園がある。万葉公園は、上に高速、横に荒川と東京拘置所の堀。仕事が終はった後の長歌と反歌二つで、最初は終はりだった。二番目の反歌である。
ところが八幡社、古隅田川、英語の球技指導と三つあったことを思ひ出し追加したため、二番目の反歌の説明がずっと後になった。(終)

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