二百十七、京都御所訪問記、続編

平成二十三年
十一月二十日(日)「続編復活」
京都御所訪問記は一週間前に一旦完結した。しかし書くべきことは尽きないので、続編として復活させた。夜行バスに乗ること自体が初めてだし二日連続も初めてである。三列バスは値段が高く、安い切符は四列の普通座席車しか残つてゐなかつた。寝られるか分からないので今回の旅はかなり緊張した。その分、印象も多かつた。
最初の一時間は寝たが、隣の席の若い男がすぐこつちに寄りかかる。その後は寝られなくなつた。外の景色でも見ようと思つたがカーテンが全部閉められてゐる。これでは囚人移送車ではないか。退屈な京都までの旅だつた。

十一月二十一日(月)「夜行バス」
東名高速の継ぎ目でガタンガタンと車体が振動する。観光バスなのに空気バネが付いてゐないか圧縮空気を入れないらしい。振動とともにしよつちゆう路線変更をするからウインカーのカチカチといふ音がうるさい。走行車線をゆつくり走るか追い抜き車線を高速のままずつと走るかどちらかにしてもらいたい。時刻の都合があるなら途中まで追い越し車線を高速で走り後は普通車線にすればよいではないか。
帰路は寝られた。隣が年配(とは言へ私より年下で禿げてゐた)なので寄りかかつてこなかつた。往路はバス乗車三十分前に紙カツプの清酒二個(合計二一〇円、二合)を飲んだ。飲んだ勢いで京都まで寝る計画だつたが外れたので帰路は飲まなかつた。
こういふ旅行だと〇泊三日でも思ひ出は多い。

十一月二十二日(火)「御所公開」
御所の一般公開では、杖をついたお年寄りが何人も見られた。体が不自由なのにこうして拝観に訪れる年配の人達は貴重である。お年寄りだけ特別に柵の内側に入れて上げてもよいくらいである。
御車寄といふ普通の商家より少し大きい程度の玄関がある。御所を訪れた人達の入口である。その一つ置いた隣に新御車寄といふ巨大な建物がある。これは大正天皇の即位のときに天皇皇后様の玄関として作られた。皇居が東京に移動したため御所に来られたときの施設だが、伝統を伴わない巨大建物には何か違和感がある。今回は「五節舞」の舞台として使用された。
日本は古来、中国大陸と朝鮮半島から文化を吸収した。清涼殿の前には左右に漢竹呉竹がある。紫宸殿の右近の橘と左近の桜を間近に見たときは感激したが、漢竹と呉竹を見たときは考へさせられた。
天皇様の東京御移動は仏教色の排除と脱亜入欧に連動してゐる。千有余年続いた都が東京に移動ののちは僅か七十余年で日本史上初めての外国軍進駐を迎へた。

十一月二十三日(水)「山科本願寺と法華宗徒」
山科本願寺の山のような土塁を見て世襲の僧侶は世俗の欲を超へられないとそのときは思つた(二一二、京都御所訪問記へ)。しかし数日後山科本願寺を焼いたのは法華宗徒だと判つた。その法華宗徒も四年後に洛中の二一本山をすべて焼かれてしまふ。現世利益は信仰ではないと改めて思つた。。
題目を唱へればご利益があるといふのは、アスピリンを飲めば風邪に効くといふのと違ひがない。題目は科学的に証明できないといふだけである。現世利益や西方浄土はない。それにも係わらず信仰することに尊さがある。

十一月二十六日(土)「国際会館」
御所を出た後は、まづ地下鉄烏丸線の終点の国際会館駅に行つた。山すそに建てられた巨大な建物の群れは自然と調和しない。京都の町並みとも調和しない。昭和三四年に閣議決定し作られたさうだ。現在は公益財団法人国立京都国際会館が運営する。収支を明らかにして税金の投入をやめるべきだ。
地下鉄の国際会館駅もよくない。平成九年に地下鉄が二つ手前の北山駅からここまで伸びた。それにより叡山電鉄は乗客数が減少した。

十一月二十七日(日)「遠のいたライトレール」
平成九年は京都の私鉄の厄年だつた。この年は地下鉄東西線も開通した。山科から三条京阪までは京津線といふ路面電車が地上を走り競合する。

(一)一番よいのは地下鉄の線路を京阪に貸してそのまま2両編成の路面電車を三条まで走らせることだ。
(二)地下鉄建設の目的は山科から先の六地蔵までの通勤輸送なのだから山科から手前の市の中心部は無停車にして路面電車と共存する方法もある。
(三)六地蔵からJR奈良線か京阪宇治線を逆方向に延長して山科止まりにして、山科から手前は路面電車だけにしてもよい。

ところが市と京阪の取つた方法はこのうちのどれでもなかつた。会社から通勤費を支給される乗客以外にとり一番不利な京津線の地下鉄乗り入れだつた。これでは運賃の二重取りで高くなる。
その七年後に京阪電鉄の社長は大津市と会談し、京津線とそれに接続する石山坂本線を併せて年二十億円の赤字を出し、このままでは厳しい結果になると伝へた。二両編成の京津線を四両編成にするからこういふことになる。
京都市営地下鉄東西線のうち山科手前の分岐点(御陵駅)と三条京阪の間は京都市、京阪電鉄などが出資する京都高速鉄道株式会社が施設を所有し京都市交通局に貸し出した。しかし東西線は赤字のため三年前に解散し市の直営になつた。
海外では市の中心部は路面を走り郊外は高速で走るライトレールが多数の都市にある。平成九年までの京津線もこの一種だつた。
それとは逆に市の中心通りは地下を走り通りから外れると路面を走るサンフランシスコのような方式もある。上記の一はこの方式である。
ところが東西線と京阪はどの方法もとらずに赤字になつた。鉄道の収支だけを考へるからこういふことになる。市民が車を使はず路面電車を利用するよう誘導すべきだ。海外のライトレールとはそういふものである。道路が空けば自動車の利用者も便利だ。国土交通省や地方自治体も道路を作らないで済む。土地も有効利用できる。

十一月二十九日(火)「知恩院とデモ隊」
知恩院に寄らうと東山駅で降りた。親鸞の旧跡を見るうちに夕方五時少し前になり閉門されてゐた。まだ明るいのでそのまま歩くと退職教員の会と京建労の憲法九条を守れといふデモ隊に会つた。
平和を守ることは尊い。しかし米軍が日本に駐留する限り九条は死文である。ベトナム戦争で大量のベトナム人を殺した米軍は日本からも出兵した。九条を守れではなく米軍出て行けを叫ぶべきだ。
TPPが国内を二分する騒ぎとなつてゐる。しかしTPP反対を掲げたのは私の見へた範囲では京建労の一人だけだ。どうも参加者は、退職教員の会を中心にやる気がない。平和運動が反日拝米あるいは反日西洋崇拝になつてはいけない。
教員免許を取るときにデユーイだとかペスタロツチだとかを習ふから西洋崇拝になる。
「教育原理」の科目はまづ寺小屋、藩学校、宗派の学林を学び、次にそれをどう現代に繋げるかを示すべきだ。

十一月三〇日(水)「二条城」
二条城駅で降りたときはかなり暗かつた。まづ神泉苑に行つた。料理と披露宴などの料金表の看板が道路に立ててあつた。東寺真言宗といふ立札もあつたが入らず二条城に向つた。閉門してゐることは判つてゐたので外だけ見て地下鉄の駅に戻つた。全日空ホテルのネオンが道路の向かひに目立つた。地下鉄に乗つたのちは午後十一時半まで何とか時間を費やしてバスに乗つた。
数日して当ホームページで西田氏に言及するときにホームページを見たら、自民党京都府本部は全日空ビルの斜め後だつた。偶然といふことがある。菅、岡田、枝野、仙谷、野田、前原の発言を見てゐると、多くの国民は少数政党か自民党に入れようと思ふことだらう。少なくとも民主党には投票しない。大阪の市長と府知事選挙の敗因は民主党が推薦したためである。(完)


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