二千百五十五(和語のうた)最新の歌論(その九)(和語のみの歌、比喩、三段階論)
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
十一月十日(金)
和語の歌は、作るのが大変である。伊東旅行記外伝にあるやうに、鉄道を「はがね道」「くろがね道」など。
サッカーで手を使へば楽なのにと笑ってはいけない。箱根駅伝を、新幹線と箱根登山鉄道に乗れば楽なのに、と笑ってはいけない。同じやうに和語のみで歌を詠む苦労を笑ってはいけない。明治時代中期までの人は、和語のみで歌を作ったのだから、我々もたまにはさう云ふ歌を作るとよい。
歌作り たまに大和の言葉のみ使ひ詠むのは 歌作り役に立つので試してみよう
反歌
唐言葉使はず歌を作る時ありがたさ知る真名とひらがな
(追記11.13)その後、赤彦の歌を読むうちに、和語優勢の考へが出来た。それまでは、和語のみかどうかだったが、和語の割合がどれくらいなのかを考へるやうになった。
次の話題へ行き、比喩は歌に有益だらうか、それとも有害だらうか。意識せず比喩を使ったなら、有害ではない。読者が読んで比喩を美しいと感じるなら、有益である。しかし、比喩を使ふ大きな理由は、上手になりたい、ではないだらうか。これだと有害である。
歌詠みが比べ譬への巧みには 自(おの)ずから出る時除き 美しさ無くその訳は 心の中に醜さ無き也
反歌
よろづはの後へ歌には巧みあり初め良き歌後悪き歌
万葉集の後は、初めは技巧が悪くは無かった。後に技巧が堕落した。比喩も同じだ。小生はほとんど比喩を使ふことがない。意図しては、使はないからだ。作ったものが、たまたま比喩になる事はあるかも知れない。
文(ふみ)を書く 書き物手紙そのほかに 二つ譬へる書き方を使はないのは 人により好き嫌ひあり 我が嫌ひかも
反歌
歌を詠む比べ譬へるやり方をほぼ使はずに今日を迎へる
十一月十一日(土)
初期は画期的だったものが、後に堕落する。これを段階化すると、次のやうになる。
第一段階 月並み化する
第二段階 新しい技法が出る
第三段階 真似をして堕落する
小生が古今集で駄目な歌があると主張するのは、第三段階の歌だ。第二段階の歌は賞讃すべきだ。ここが子規とは異なる。万葉集の歌は、そのままにすると第一段階になる。(終)
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