二千百三十二(うた)1.空穂の歌集を読む、2.メモ書き歌(歌作りの歌)
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
第一部、空穂の歌集を読む
十月二十日(金)
空穂全集第一巻乃至三巻の、歌集にちらっと目を通し、長歌は全部読んだ。第一巻は長歌が無い為、本日は第二巻を取り上げることにした。
一、元の内容が悪いと、定型化してもそれほどではない。例へば大正十四年の
    正月の三日といふ今日、三人(みたり)子を連れて家いで神楽坂の洋食屋にて、いささかの物を食はしぬ(以下略)

一、長歌は、文語を読み進みにくい。短歌は勢ひで読み進める。
一、長歌は感動が薄れる。単語当りの感動量が極めて低くなる。
一、最新の歌論(その八)の十月十八日に書いた「感情がない歌ても、感想または体験が入る。つまり空穂の歌は、自身が中心」は、その後少なくなった。
一、日記としての物語性で、読み飽きるのを克服したい
一、大正十五/昭和元年に、破調の長歌目立つ。明らかな西洋風詩も。
歌による日記綴りは意味があり 物語化を成し得るが 長い文語は読み難く どう乗り切るか作者と読者

反歌  日常の生活のみは美しさ欠けるが故に対策如何
「得る」を、文語志向の人は「うる」、口語志向の人は「える」。両方可能にした。
長歌には万葉からの流れあり 明治維新後西洋詩 影響により長詩にはしてはいけない 流れ途絶える

反歌  長歌にも 短歌と同じく美しさ字数のほかにあともう一つ
反歌  万葉に倣ひ長歌をそのほかに西洋の詩に倣ふ人もあり

十月二十一日(土)
空穂全集第三巻は、昭和十九年、二十年と長歌が無い。第二巻も最後のほうはほとんど無く、あっても低調で長詩と小生は呼んでみた。昭和二十一年は一首あり無縁仏と題し多数のお墓を詠ひ、昭和二十二年は捕虜の死と題し次男の死を悼んだ。そしてこれ以降、長歌は無くなる。

第二部、閲覧注意メモ書き歌(歌作りの歌)
十月二十一日(土)その二
詠む上の苦労は読者気が付かず 読み美しく感じるを出すが佳き歌佳き文芸に

反歌  縁語には読者気付かず貴族たち出世争ひ時を湯水に
歌評で、かう云ふ歌はなかなか作れない、に遭遇して思った。作者の苦労は、読者には無関係だ。
序ことばと枕ことばは意味あるか無いかを問はず 万葉の時より続く手法にて 調べ整へ歌整へる

反歌  江戸後期古今を土台万葉の家を建てるが流行り始める
次は
黒船で国が一変 敗戦で又一変し 世の中と歌が大きく変はるとき 悪くなるのが普通の流れ

反歌  外圧で世が変はるとき普通には良くはならずに悪くなるのみ
明治維新で日本が良くなったと考へてはいけない。行き着く先は、敗戦だった。そして明治維新は神仏分離で、長年の先人たちの努力を破壊し、日本を二つの固定思想(宗教)の国にしてしまった。(終)

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