二千百四十六(普通のうた、和語のうた)メモ書き歌
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
十一月三日(金)
文化の日明治の日にて ひと日づつ寒さが増すも 昨日は昼の暑さが二十五度 夏日となるは異常気象か
反歌
明治期に日本列強仲間入り下は砂上に上は豪華に
反仏足石歌
上は軍だがさらに上経済が商工力で日本は負ける 岸の責任
本日は文化の日。戦前は明治節と呼ばれ、明治時代の天長節だった。
冬近し 残り五日で立冬に 今日を二十日で小雪に 三十五日で大雪となる
反歌
冬至まであと五十日それからは日が延び出すもだが寒波来る
本日から立冬まで五日。そのあとも続々と寒さに関係する日が来る。冬至は一つの頂点だが。
あからひく日帰り四日次の旅 妻に母への昼食を頼み全日 翌日は休み全日 次は午後 その翌日は休み全日
反歌
来月は富士見公園地蔵堂半日一つあと宇都宮
今度は伊東でジパング倶楽部の切符を既に買った。その次が上記。
三河島その新しき乗り家(や)から すぐ北にある分れ道新しい道冠の 店立ち並ぶ商ひ街か
反歌
車行く道では宮地乗り合ひのはがねに乗り場二の三河島
青戸へ行く時の話題。道路は宮地ロータリー、鉄道駅は二番目の三河島。新三河島は固有名詞なので和語で使ってもよいのだが、長歌が「三河島その新しき乗り家」としたので、反歌もそれを踏襲した。
冠の新しき道 買ひ物で賑はひた街 店の数今は少なく時の流れに
反歌
冠の西の端へは子ごころで既に馴染みも行き先知らず
冠新道の西端は、小学生のときから自転車でよく走った道だった。そこを曲がったことはこれまで一回もなかった。
十一月四日(土)
西洋は アジアアフリカ南米を植民地化し 戦争が続きつひには 独立をさせるも今や地球滅ぼす
反歌
二十五度今日も夏日で西洋の野蛮文明地球滅ぼす
25℃以上は夏日。十一月で夏日は異常だ。
-------------ここから「良寛、漢詩、和歌」(六十六)-----------------
再雇用終はり最初の一年は変はり少なく過ごしたが その翌年は少しづつ足が弱るとその次に夏の疲れが 今年には此等増々進んだか 二年前より大きく変はる
反歌
良寛が老いの進みて書く歌は嘆くに非ず自己の観察
反歌
我が歌も老いをなげかず喜びて観察をして記し留める
反歌
母にてはこの一年は変はり無しその前と前大きく変はる
小生が老いの歌を作る時は、まったく心配はしてゐない。逆に老いを、年齢相応だと喜んでゐる。そのことから類推し、良寛の老いの歌も自己の観察ではないかと気付いた。
良寛は 釈尊達磨道元と繋がる道を歩まうと 心に決めて円通寺旅立ちののち帰郷時は すべての宗派同一と見る
反歌
帰郷前どこで修業かどのやうな修行をしたかは十人十色
良寛の不明時のことは、十人十色の解釈があってよい。ただし万丈の回想だけは嘘だ。出来過ぎてゐるし、有名になった後の良寛定住状態を描いてしまった。
歌を読む 景色対人出来事に自己観察も題材に どれも止と観共に備へる
反歌
歌詠み時心まとめて止と為して観察するはまさしく観に
歌を詠むことは止観共に備へると思ふ。
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「良寛、漢詩、和歌」(六十七)へ
-------------ここまで「良寛、漢詩、和歌」(六十六)-----------------
本日は午後に渋谷へ行く用事 弁当を持ち気候よく 午後五時までは催すも一回りして会場を出る
反歌
出展が思うほどでは無いために一回りして帰宅の徒へと
渋谷にはかつて東急東横のホームが並び 朝夕の通勤のため利用した 後に地下鉄乗り入れで地下へ移動し上ストリーム
反歌
ストリーム駅の跡地に飲食と小売りの店が並ぶ建物
久しぶりの渋谷だったが、寄り道もせず帰宅した。午前中仕事だったので疲れたか。(終)
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