二千百四十七(うた)テレビ観賞記(江差追分、相棒、NHK短歌)
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
十一月三日(金)
テレビ朝日で相棒16#16の再放送があり、小料理屋の常連と云ふところに興味があり、観賞した。あの店の客は、いつも主人公と相棒だけだ。相棒は長らく見なかったが、相棒21#6が良かったためでもあった。小料理店の女将と客の淡い中年の恋で、それなりに良かった。背景の音楽も良かったためかな。
これに前後して、相棒22#1を見たが、教団敷地内で弁護士が勝手に立ち入り禁止区域へ入るところで切った。弁護士がそんなことをする筈が無い。
テレ朝見逃し配信で見る番組がないので、相棒22#1の後編の#2を見ると最後に逆転があり、或る程度は面白かった。そのため#1を見逃し配信で見直したところ、逆に#2の評価が下がった。結局は、最後に逆転させて原作者がほくそ笑むだけの筋書きだった。
#3も見たが、思ひ込みの激しいと云ふ設定の男が現れ、強引さを主人公が止めないところが変だ。あの男が出るといつもつまらないので、早期に見るのを止めることになる。
十一月四日(土)
NHKプラスで、江差追分を聴いた。これは名曲だ。しかし不思議な曲だ。西洋音楽の範疇に無い。これに次ぐのが草津節だ。どちらも楽譜には出来る。しかし特に江差追分の美しさは、西洋音楽の範疇に無い。
江差追分を不思議だと思はずに聴けるやうになるべきだ。それには西洋野蛮音楽を小学校中学校で教育するのは止めよう。
西洋の野蛮音楽国民の心蝕み亡国の音に
十一月五日(日)
昨日の江差追分を聴かうとNHKプラスを見たところ、既に無い。代はりにYoutubeで聴いた。昨日と雰囲気が異なる。速さが違ふためか。
NHKプラスでは、代はりに坊ちゃん列車運休のニュースを見た。まづ、坊ちゃん列車を知らなかった。機関車から煙が出るので石炭か、集電装置を下げる場面を写したので電気か、と考へながら見た。人手不足で運休するさうだ。赤字が理由ではないので、少し安心した。
終了後にインターネットで調べた。蒸気を発生させる機器を積んでゐる。架線のトロリーコンタクター(分岐器自動操作で使用)を作動させるため、該当区間で集電装置みたいなものを上げる。
同じくNHKプラスで、NHK短歌を見た。『初心者向けのコース、今回のテーマは「比喩で飛躍しよう」』とあるので、つまらないのではと心配しながら見たが、そんなことはなかった。しかし解説を聞き、比喩が目的になってはいけないと感じた。西洋詩の影響で、叙情詩か叙景詩と考へる必要もない。
出演者の
芝居場で100%で返しても天馬のようには駆け上がれない
を修正して
ここが見せ場100%で返しても天馬になれない駆け上がれない
に直したのは見事だ。ただし小生は字余りに厳しいから、「ここが見せ場」はもう一つ推敲が必要だ。あと「100%」も変更したほうがいい。カタカナはやむを得ない場合以外に使ふべきではないし、記号はどのやうな場合も使はないほうがいい。次に、「100%」は現実的ではない。「九割五分」はどうか。自信があるなら「九割九分」でもよい。
行動は波があるため 十割を目指すと一時十割を超えて過負荷で 台無しとなる
反歌
九割と五分か九分で動く時余裕をすぐに使ふとき来る(終)
(追記)NHKプラスの江差追分が見つかった。Youtubeと聴き比べをすると、曲も速さも同じだ。この曲は、旋律とは異なる美しさのため、歌ひ手、掛け声、尺八が異なると、雰囲気が変はって聞こえてしまふやうだ。
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