二千百四十一(うた)松岡正剛「外は、良寛。」
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
十月二十七日(金)
松岡正剛「外は、良寛。」はときどき外国語(外来語は日本語だが、外国語は日本語ではない)を多用する段落があり、読みたくない本だ。しかし紹介するのは、良寛さんへの考察が興味深いからだ。本は冒頭から
これから話す良寛についての風変わりな感想は(以下略)

で始まり、先が思ひやられる。「世の中にまじらぬ(中略)ひとり遊びぞ我はまされる」の「ひとり遊び」について
なにかを媒介にした「ひとり遊び」です。なにかは落ち葉でも淡雪でも茶碗でも、富士山でも、(中略)現代ならばオートバイや楽器や釣り道具でもいいでしょう。ただし(中略)ぜひとも「おぼつかない」ものでないといけない。壊れやすく傷みやすく(以下略)

その理由として
良寛がそうであったように、ひとり遊びに向かう気持には本質的に「はぐれる危険」と「一定性ではないもの」を求める奇妙な動向があったのです。

良寛がひとり遊びを好むのは、人間の腹の中など汚いことが嫌ひだからだ。これは良い側からの解釈で、面倒なことが嫌ひと云へば悪い側からの解釈になる。「はぐれる危険」「一定性ではないもの」は無関係で、松岡さんが間違へた原因は「ひとり遊び」の「遊び」ではないか。良寛は、一人で経典や道元の著作や万葉集を読むのが好きだ。それを「ひとり遊び」と呼んだ。小生はかう解釈する。だから
良寛のひとり遊びは手毬とおはじきです。

に至っては論外だ。そもそも子供たちと遊ぶなら、数人遊びだ。
良寛の出家の最初の動機は「逃亡」だと思うのです。というのは「少年禅燈を伝えず」と言った(以下略)

最初の動機はさうかも知れない。
ただし、これは道元の言葉に出会うまでのこと(以下略)

これは違ふと思ふ。良寛は円通寺で熱心に修行した。そして国仙和尚は正法眼蔵を読むことを許可した。或いは円通寺で道元の言葉に出会ひ、熱心に修行したので正法眼蔵を読むことを許されたとも考へられるが、その可能性は少ない。
「無常まことに迅速 刹那刹那に移る(以下略)」の長詩について
良寛が染まっているのは無常そのものというより、実は「無常迅速」(以下略)

小生も、無常は好きではない。無常迅速なら好きだ。
無常とはいつ起こるのか不明にて 無常迅速これならばすぐ起こるので 今の世に合ふ

反歌  無常とはすぐに変はらず長い期を経て変はるので常と変はらず

十月二十八日(土)
「夕霧に遠(を)路(ち)の里辺は(以下略)」の歌について
「里」ではなく「里辺」、つまり「あたり」といった意味です。(中略)この「幅のある限定」(中略)それもいわば「非限定の限定」というべきものが良寛にはあります。

同じく「(前略)わがたらちねの奥つきどころ」について
「おくつきどころ」という文言に良寛の「あたり」がうかがわれます。

ただこの結論が、書の「ゆらぎ」にしか応用されないのが残念だ。「ゆらぎ」があるのは、良寛の優しさであり、鷹揚なところなのだらう。
それまでの良寛はあきらかに古今にも新古今にも惹かれている。(中略)五合庵を出て乙子神社草庵に入るころには、すっかり万葉に浸りきっている。

小生が考へるより、かなり後らしい。
斎藤茂吉がこの光枝の歌と良寛の歌をくらべて、光枝のは「平俗にぶらついている」と批判したのは有名です。もっとも良寛の歌がうまいかといえば、それほどいいものばかりとはいえない。ぼくは良寛の歌だけを書から切り離して鑑賞するという趣向はもちません。

松岡さんと小生は、茂吉に比べて良寛の歌が遠いやうだ。小生は、書か良寛の生き方と云ふもう一つの美しさがあるので、良寛の歌は美しい、とする立場だ。

十月三十日(月)
松岡さんは、水上勉の説で良寛が円通寺のはやい時期に「桃水和尚伝賛」を読み乞食坊主に憧れたのではないか、とする説を紹介する。そして仙桂和尚を詠んだ漢詩を紹介する。松岡さんは、この漢詩を以て「憧れたふしはある」としながらも
良寛にはまだ桃水ばりの乞食坊主の真似をしきれていなかったということになります。

これは松岡さんが間違ってゐる。仙桂和尚は禅も読経もしないが、食事を大衆に供養する。これと似た役割に、坐禅中に警策を持つ僧がゐる。この僧は坐禅に参加せず、警策で一人づつ右肩を打つし、居眠りをしてゐたり自分から打たれることを希望する僧に追加で打つ。しかし坐禅に参加したのと同じ効果がある。仙桂和尚も同じだ。決して乞食坊主ではない。
松岡さんは、水上説に賛成し、しかしそこに至るのはもっと後の漢詩を作ったときかその境涯になったときだとするために、この漢詩を紹介したのだが、小生はもう一つ理由がある。
良寛が仙桂和尚を褒め讃へたのは、仏に近いからだ。禅や読経をしなくてよいためではない。今回このことを強調するのは、松岡さんは別の場所で何回か近藤万丈「寝覚の友」を無批判で紹介する。「寝覚の友」は良寛が禅も読経もしないと書くので、これは偽作と断定した。漢詩の意味は極めて重要である。最後に
いくつかの良寛が入り乱れるのが高度成長に踊っていた時期の良寛評論像の特徴です。一部の文芸家たちが日本経済主義の増長に胸を痛め、良寛を必要以上に高潔に扱ったり、逆に日本人の矛盾を見出そうとした結果かもしれません。かつての日本浪漫派をはじめ、そういうことはよくあるものです。

ここまでは、なるほどと感心する。そしてこれらを超えて淡々と良寛を描く方向が出て来て、その代表が水上勉だと云ふ。小生は、水上勉の説に反対である。(終)

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