二千百三十一(うた)三河島で仕事
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
十月十九日(木)
本日は、三河島で仕事だった。宮地の六叉路近くで、六十歳以上には、ラヂオの交通情報で宮地ロータリーは懐かしい地名だ。中学生や高校生は車を運転しないが、ラヂオを聴くと交通情報がときどきあった。あと甲州街道の大原交差点が混雑の常連だった。その後、立体交差が完成したため混雑は周辺地に拡大し、昭和六十年辺りは国道十六号の呼塚(よばづか)が常連になった。
そんな宮地の六叉路(歩道から分岐する路地を含めると七叉路)近くだ。午後二時まで勤務なので、昼休みは周辺を散歩した。まづは六地蔵だ。地蔵、大日如来、庚申塔四基からなり、縁日開催と旗、看板などから地元の信仰の篤さが窺へる。
昔から人の住む街 六地蔵かう云ふものが必要だ 街と社会と暮らしを守る

反歌  昔から続く街には地蔵あり鳥居と偉人の家跡と墓
次は、せまい路地と、家屋に混じる小売店。これぞ下町の雰囲気だ。新三河島駅前までも行かうとして、六叉路の方角を一つ間違へた。角に韓国料理店がある。向かひは中華料理だ。いくら歩いても駅が見えないので、間違ひに気付き左折した。常磐線の踏切は、右方向奥に隅田川駅の分岐が見える。渡ると三河島駅裏側のせせらぎ公園に出会った。中を駅近くまで歩いた後、裏道で宮地へ戻った。
帰りにタイ系寺院が左側にあったが、足を止めることなく軽く眺めるに留め、駅に着いた。高架ホームから南側を見ると、在日韓国人団体の看板が見える。此の辺りは、在日韓国朝鮮人が多く住むのだらう。このマンションは一回きりだ。
三河島 中韓料理タイ寺院 日本家屋の列の中 たまに商店庶民の街だ

反歌  三河島国際色も豊かにて大和の国もアジアは一つ
唯一惜しまれるのは、三河島の地名が消滅し、荒川区荒川になってしまった。
地名には長い歴史の流れあり 荒川最悪その訳は 区名か地名か川の名か 区別できずに皆が迷惑

反歌  荒川に沿はない区でも許せるが地名荒川許容を超える(終)

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