二千八十三(和語のうた)再び「左千夫歌集」
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
九月九日(土)
旅行と台風で、図書館に行けなかった。そこで「左千夫歌集」の初めと終はりを読み比べた。八一のいふ歌調の変化を見るためである。前回も調べたが、今回も調べた。
前回は明治三十三年から急に佳くなるとしたが、今回は明治三十年から急に佳くなる。その前の二十九年の[九十九里浜]に三首あり
武士(もののふ)の矢刺が浦の夕風にひかり涼しき弓張の月

「ひかり涼しき」が空想的だと批判するのは、子規歌論原理主義だ。美しいかどうかで歌を判断すべきだ。物語性の歌にあっては、物語の一部として有効に働く美しさもある。
もみぢ葉の八重かさなれる谷そこにさやかにみゆるたきつ白浪

「さやかに」が抽象的だが、今後子規門下となり簡単に克服する。小生が注目したのは、歌の根幹だ。根幹が優れれば、抽象的な表現は二秒で直せる。
紅葉(もみぢは)のまひて散るみゆ滝つせの水の煙にうづまかれつつ

これは、後の左千夫の歌と違ひがない。明治三十年及び三十一年では、五首のなかから
うすく濃く見るまも色ぞさだめなきさ霧ただよふ山のもみぢ葉
村時雨すぎがてにする山路より落葉ふみつゝ人の来る見ゆ
ながむれば霞める山の麓り沢辺をそして駒のおりくる

三十三年から急に佳くなることは、前に指摘した。十一月の「二荒山に紅葉を見て」は
もみぢばの八重てる山の岩秀(ほ)なるみさきのへよりたきほとばしる

など佳作が多い。根幹が優れたところに、子規の歌論が効いた。明治三十四年に入り
かぎろひの夕波千鳥しば鳴きて梅なほ早し鎌倉の里
繁(し)枝(み)をちず千(ち)咲き八(や)千咲く足(たり)花に雨しく〱(二文字同音記号)と日をふりくらす

などは後には無いから、八一が歌調が変はったと云ふのはこのことか。
このあとずっと後方へ移り、明治四十四年。『新仏教』誌に載せたものは佳くない。明治四十五大正元年まで進んでも佳い歌がない。明治四十三年の子供の死と水害が尾を曳いたやうだ。大正二年の、政府批判歌。そんな中に
ゆづり葉の葉ひろ青葉に雨そゝぎ栄ゆるみどり庭にたらへり

これは久しぶりに佳い歌の復活だ。このあとまもなく、左千夫は急死する。
あららぎの左千夫の調べ 変はるとは秋くさ八いち書くことを 調べるためにふみの旅する

反歌  左千夫歌幹は根岸の家人が亡くなる前に詠み載せた歌
左千夫の歌が変化したときに、どの時代が中心なのかは、子規が生きた時代に詠み公開した歌であらう。(終)

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