二千八十三(和語のうた)文明編「斎藤茂吉短歌合評 上」続編
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
九月二日(土)
文明編「斎藤茂吉短歌合評 上」は、帰国後に醜い歌が続くので、一旦終了させた。ところが後方に美しい歌を発見したので、続編を作ることにした。「ともしび」の後半で
桑の実はいまだ青しとおもふなり息(おき)長川のみなかみにして

文明は
四・五句は調子にたよったのであるが、上の三句が新鮮なためか形式におちなかった(中略)下の句のような日本語の調子は、すでに実際の日本語からはなくなっているだろうが、歌は何も現代語に拘束される必要はない。

「みなかみにして」は、話すことはなくても、読んだり聞いたりする分には解る。それをなくなったとする文明の話は変だが、歌が現代語に拘束される必要がないのは、文語のときは当然で、それをわざわざ云ふのは、文明が現代語に適応し過ぎたためでは、と思ってしまふ。
あはれとぞ声をあげたる雪照りて茂山のひまに見えしたまゆら

「木曽山中」の章。美しい景色では、歌も美しくなる。
ふかぶかと青ぎるみづにいつしかも雨の降り居るはあはれなるかも

文明が
「雨の降り居るは」はア行音だしするから、字余りをもって論ずる必要のない所だろう。

他の評者は字余りを云ってはゐない。「ア行音だし、」の意味か「ア行、音出し」なのか不明だ。と云ふのは、ア行でも先頭や末尾では駄目と云ふのが宣長説だ。途中の「をる」は「お」に含めてよいのか。それよりアララギ派は「ア行」を認識しないのでは。
しづかなる峠をのぼり来しときに月の光は八(や)谷をてらす

「箱根漫吟の中」章。八谷の語で、この歌は優れたものとなった。ある評者が
八谷は「古事記」にある。

次に
夏山の茂みがくれを来しみづは砂地がなかに見えなくなりつ

小生は「来しみづ」を「濾し水を」と掛詞に捉へた。さう解釈する人は他にゐないが。
よろこびて歩きしこともありたりし肉(しし)太(ぶと)の師のみぎりひだりに

ある表者が
「肉太の師」の句は、今ではもう見かけ難い。

次に
こがらしのしきりてぞ吹く昼つかた黒姫山にただに対へり

「しきりてぞ吹く」「昼つかた」がすごい。評者も同じ意見だ。
峡(かひ)すぎて見えわたりたる石原に川風さむし日は照れれども

先ほどの歌は「信濃行」、この歌は「天竜川」。景色が美しいと、歌も美しくなる。

九月三日(日)
歌集「たかはら」に入ると、また異変が起きる。佳い歌が無くなる。昭和三年石榑茂との論争。昭和四年の世界大恐慌。同じ昭和四年に新聞社の飛行機に初めて乗り、慢心が起きたかも知れない。そんななかで
こしのくに妙高の山すがしみと二人は居りき日の落つるまで

「こしのくに」「妙高の山」と名士が続いたことを、評者二人が好意的に語る。文明は
「こしのくに」は説明ではあるが、昔の枕詞の用法にでも通ずるような軽い句と見てよいだろう。

枕詞は左千夫や茂吉も使ふが、それを「昔の枕詞」と云ふところに、文明の近代賞讃が見える。また、説明をいけないとするのは子規の歌論だが、単独で妙高の山と言はれて分かるだらうか。多くの人が分からないだらう。小生は準急「妙高」があったから分かるが。
歌集「連山」は戦争の臭ひがするので読み飛ばし、歌集「石泉」では
谿(たに)底はすがしかりけりくだり来て水の香(か)のする水(み)際に立ちつ

最後の「つ」が好きでは無いが、評者二人が「居りつ」を「立ちつ」に直した点を問題にする。
汽車にして板谷をこゆるひるつかた見つつこほしき荒山のみづ

評者も「荒山のみづ」を誉める。
あさまだき向ひの山に日はさしぬ湯づかれし身は山に向き居り

旅の疲れを表した佳い歌である。「日はさしぬ」は夕日だと思ったが、日記によると朝湯らしい。午前の陽だと判る表現に直したほうがいい。評者は、上の句と下の句の連続を問題にする。さて、小生は美しい景色が好きなのではなく、旅行が好きなのか、と自身に気付いた。
日は晴れて落葉のうへを照らしたる光寂(しづ)けし北国にして

この歌は、「日は晴れて」以外のすべての句が有効に働く。そして「日は晴れて」が前提となる。「晴れて」を変へる方法もあるが。評者でここに言及した人は、日記から前日も晴れたから曇りから晴れになったのではない、と云ふに留まるが。
一とせにひとたびまうで来ることも忘れがちにて生くるさびしさ

左千夫二十回忌。「石泉」の途中から文明の評が欠けるが、二十年を経ても毎年左千夫忌を行ふ門人たちの姿が目に浮かぶ。
ふた昔過ぎても多くが集りて 左千夫を偲び歌作る 長く生きれば更に歌多く残せた大和の為に

反歌  遺された人で長生きした人は国が賞(め)でるを賜りて逝く
茂吉、文明は長寿で、文化勲章を受章した。左千夫と赤彦は短命だった。受賞したかどうかより、歌をたくさん作れなかった文化損失のほうが大きい。(終)

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                        良寛、漢詩、和歌(五十七)(ここで和歌論と、良寛を分割しました。双方の内容が四つあるため和歌論は六十減ります)

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