二千八十四(うた)宇都宮のライトレール
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
九月五日(火)
本日は午前中仕事のあと、大宮から新幹線で宇都宮へ向かった。到着が一時四分、一時十分のライトレールで宇都宮大学陽東キャンパスまで乗った。ベルモールへ入り、レストラン街で中華ランチ(998円込)を食べた。他のレストランは1000円(税別)から1800円なので、大して値段が違はないことは、あとで気付いた。
思ったより時間が掛かり、モール内を見て廻り、停留所に着いたら、12時50分発が25分遅れで到着した。乗客が慣れないため、乗り降りに時間が掛かるやうだ。
宇都宮駅に着いたら、30分遅れで待つ人がたくさんゐた。バスの乗り場を見て、新幹線で大宮へ戻った。
宇都宮新たにできた乗り物は 路面電車の二代あと 古い電車が新型車それが今ではライトラインに
反歌
PCC含め七両その次に非自動間接これら次世代
反歌
鉄道は吊り掛け式がこだま型次は電力半導体に
昭和四十年代に大量廃止された路面電車から数へて、ライトレールは二代あとだ。昭和三十三年頃にPCCが一両作られた。それと同じ5500型だが、PCCでは無い国産車が六両作られた。それらはいづれも間接自動だったが、間接非自動で出力を下げた車両がある程度作られ、これらは合はせて次世代。そしてライトレールが三代目。
鉄道では、吊り掛け式駆動で力走時にうなり音を出す、茶色の電車と湘南型が初代。うなり音を出さなくなったこだま型や山手線形や新幹線が次世代。千代田線車両に始まる電力半導体が三代目。
九月七日(木)
一昨日と本日は、午前中既に仕事が入った。そのため午後から出かけることにした。一日は宇都宮、もう一日は飯山を計画したが北陸新幹線の各駅停車型の時刻の関係で午後四時までに帰宅できない。そこで浦佐に決めた。ところが初日に長岡まで往復してみて、三日連続で上越新幹線に乗ると飽きることがわかった。
これまでも、二日連続で同じ方向へは行かないやう調整して来たことを思ひだした。と云ふことで、三日目も宇都宮にした。ライトレールは逃げない。しかし開業直後の雰囲気は二度と味はへない。二回行くのも一生の思ひ出だ。
宇都宮 ベルモール前新しい街の中心 今までの駅東側官庁の街やや寂れ延長を待つ
反歌
宇都宮東口前モールビルこれも新たな街の中心
ライトラインのホームへ着くと、十三時十分発はまだ入ってゐない。ホーム上は人がかなり待つものの、混雑と云ふほどではない。あと四分で到着すると案内があった。そして到着した。本日は、街中から走行音がどれくらいかを見たいため、線路の東側へ行った。
すると次が既に来て、西側に着線した。掲示では次の電車が午後五時だ。しかし臨時に変更した。暫く線路に沿った歩道を歩き進むと、更に一本後が来た。先ほどの折返しも行った。遅れるのは一本だけで、後続に影響は無いやうだ。十二分間隔なので当然だが。
電車は騒音を出さない。PCCは既に無音電車と呼ばれたから、ライトレールが無音なのは当然だが。本日は駅東公園から平石まで乗った。将来の快速追い抜き用を兼ねて入出庫線が作られ、車庫は少し離れて郊外電車みたいだ。
一本後の電車で、宇都宮駅まで引き返した。駅前の商店ビルで日本酒300mlを買ひ、新幹線の車内で半分飲み、残りは夕食で飲んだ。
午後一時から二時でこの乗客数なら安心だ。ライトラインは、通勤用と云ふより、宇都宮新市街の動脈だ。ここで旧市街とは、駅東側の官庁街。東側までの延伸が待ち遠しい。
宇都宮ライトラインは 昼間でも乗客多く繁盛し 市の発展は間違ひがない
反歌
街の中路面電車の走る道人の道にて車と共に
反歌
街の中路面電車の無い道は車の道で無味乾燥に
欲を云へば、宇都宮駅前から平石の手前まで、車線が多すぎる。これだと、人と車の共存とは云へない。尤もライトレールを建設した目的は道路の混雑緩和だから、車線が多いのは当然だ。ライトレール開通で自動車がだんだん少なくなり、将来車線を減らして商店街か緑の散歩道になったときに、人と車の共存が完成する。(終)
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