二千五十三(うた)尾久の線路脇で火災
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
七月二十九日(土)
九時四十分に、尾久駅近くの線路脇で火事があった。本日勤務したマンションで、居住者から煙の臭ひがすると云はれたので煙のほうへ行ってみた。昨年もほぼ同じ場所で火事があった。あのときは近くの住民がホースで水を掛けて、大事には至らなかった。
今回は暑いため外に人が少なく、しかし近くのトラック運転手が消防に連絡したと云ふので、消防車を待った。そのあとバンと云ふ破裂音とともに煙が一瞬多く出た。線路わきの金属製の箱だなと思った。尾久駅の出発信号機が消えた。その後、ケーブルらしきものから線状に炎が出た。まもなく消防車が到着した。
この時点で、やられたのは信号ケーブルだけだと思った。ところが居住者から、駅のエスカレータや地下道の電灯も消えたと話があった。駅前には、通信、電力、保線の車が停車してある。救急車や消防車も待機してゐる。頭上をヘリコプターが何回か飛ぶ。影響の大きさが分かる。尾久駅前にテレビカメラが来て、本日勤務したマンションの老夫婦がカメラの前でしゃべってゐた。
復旧は夕方になるだらうと予想した。それは国鉄末期にケーブルを切断される事件があり、あのときは復旧に一日掛かった。帰宅後にインターネットで調べると、同時多発ゲリラとある。あのときは多発だったことは、完全に忘却してゐた。今回は一ヶ所なので、復旧は午後二時十分だった。
帰りは、上中里まで歩いて京浜東北線に乗った。ところがいつまで経っても発車しない。王子東十条間で、安全確認ださうだ。暫くして、安全確認に時間が掛かる、と放送があった。尾久の焼けた通信ケーブルを復旧するための試験ではないか。電車は二十二分遅れで発車した。南浦和駅到着時刻を逆算すると、バス発車まで2分しかない。急いでバス停に行くとバスが無い。本日は土曜でダイヤが異なることを、次々に事件が起きるので忘れてしまった。
と云ふことで、(1)12時過ぎで日陰がない中を上中里まで歩く破目になった(2)駅で待たされた(3)バスの時刻を間違へた、と踏んだり蹴ったりだった。

七月三十日(日)
出火場所が昨年とほぼ同じだ。まづ疑はれるのは絶縁不良だ。しかし出火のときに出発信号機は点灯してゐた。出火は草むらで、その火が電線に燃え広がった可能性は高い。とは云へ、今の時季に枯草は無い。本日の報道で原因が分かった。出火は電力、巻き添へで通信も被害を受けた。読売新聞のホームページによると
線路脇の電気ケーブルから出火したといい、2時間後に消し止められた。けが人はなかった。警視庁などが詳しい原因を調べている。

小生が見た限りでは、消防車が来てまもなく鎮火した。最初、消防士が(壁を)壊しましょうか、と云ひ、中隊長(と呼ばれた)が、上から入れよう、と云った。フェンスが高ければ、下部の鉄製の板を壊さなくてはならなかった。2時間と云ふのは、誤報かそれとも再発火か。記事は続いて
JR東日本によると、この火災で尾久駅の信号機が作動しなくなり、設備の復旧作業や安全確認を行う間、常磐線や京浜東北線を含む各路線が運転を一時見合わせた。

信号機だけではなく、尾久駅では停電した。設備の復旧作業や安全確認は12時頃からだが、この記事だともっと早いと読者は誤解する。小生が修正すると(修正部分は赤色)
JR東日本によると、この火災で湘南新宿ラインの池袋以北と宇都宮線高崎線の信号機や踏切が作動しなくなり、12時前後に設備の復旧作業や安全確認を行う間、常磐線や京浜東北線を含む各路線が運転を一時見合わせた。また尾久駅では停電し、構内のほか西側とを結ぶ地下通路が暗くなった。

湘南新宿ラインの池袋以北と宇都宮線高崎線の信号機が作動しなくなったと推定した理由はこの区間が運休したためだが、赤羽駅と荒川を渡ったところに、近郊型電車が一編成づつ停めてあった。信号や踏切が作動するなら、荒川を渡ったところに停める筈がない。
本来は大宮以北を平常に 以南一部を折返し一部を湘南新宿へ 出来ない理由電子化が進んだためにすべて運休

反歌  駅からは運転係ゐなくなり信号線が切れ全滅に
JR東の発表は最初、尾久駅の線路際で火災だった。15分ほどして続報が出て、尾久駅付近の線路際に変はった。その他の文面は同じだった。火事の場所は、出発信号機の少し先だ。出発信号機までが駅の構内だ。だから隣の客車操車場は、ずっと上野側まで尾久駅の構内だ。
昨年、鎮火の後に電車は平常に運転してゐるが、体格の大きいJR職員が五人くらい来た。なるほど出発信号機の先だから、駅ではなく保線区なのかと、そのとき思った。
今年は、体格の大きい人たちはゐなかった。昨日書いたやうに保線の車は来たが、優先順位は(1)電力、(2)通信だ。或いは土曜なので、特に体の大きい選抜チームではないのかも知れない。事故現場では何があるか分からないから、枕木やレールを運ぶのに選抜チームのほうが便利だ。(終)

(追記)インターネットによると三月に、六月一日付けで田端統括センター、大田営業統括センター、大崎営業統括センター、渋谷営業統括センター、御茶ノ水営業統括センター、北千住営業統括センター、柏営業統括センターを設立すると発表された。民間会社の話なので取り上げないはずだったが、今回の事件があったので引用すると、
田端統括センターは田端駅、尾久駅、日暮里駅、王子駅、田端運転所、西日暮里駅(委)、上中里駅(委)。
(中略)
御茶ノ水営業統括センター、渋谷営業統括センターを除く箇所(日暮里駅、蒲田駅、大崎駅、神田駅、水道橋駅、北千住駅、柏駅)において、企画サービス業務を見直す。渋谷営業統括センターは通対やイベント対応でテンポラリースタッフが多いため、企画サ ービスを配置した。
・営業体制の見直し…田端統括センターにおいて、分任業務や終電対応を泊り体制でおこなっているが、泊から日勤の変形業務 に変更する。日勤+日勤に分割し、統括センター各箇所の業務と融合を図っていく。統括センターの各箇所の日勤業務と田端駅 の日勤業務を組み合わせて行う。田端運転所の乗務員が乗務終了後に田端駅の終電対応を行うことも想定している。交代業務 を日勤+日勤で行うことも想定している。田端駅に来た田端運転所の乗務員の泊地は検討中。防犯対策なども検討すべき。
・管理体制の見直しとして、田端統括センター・尾久駅の営業副長・田端運転所の副長、御茶ノ水営業統括センター・水道橋駅の 営業副長を見直す
(中略)
田端統括センター傘下の現業機関は特殊な取り扱いを行う箇所が多い。尾久駅構内の誘導業務は養成に3か月程度かかる。

駅に貼られたポスターでは、田端運転所(JR後の名称)の代はりに田端オフィスとあり、三月以降に変更があったらしい。既に昨年四月田端機関区(JR前の名称)の検修部門は旧尾久客車区(JR前の名称)に移管された。昔式に云ふと、尾久運転区である。

追記八月八日(火)
尾久駅の線路わきの道路に、網が貼られた。従来は、下部が鉄板、中上部が鉄条網だった。これを中部に網を張った。これで吸ひ殻を投げ入れることが無くなる。先日の火事は、煙草の吸殻が原因だった。

追記十月三日(火)
一ヶ月前に追記しようと思ひながら、どのページだったか調べるのに手間取り遅くなってしまった。「誘導業務」の語に、客貨分離の影響を見た。本来は「操車業務」だが、国鉄末期に動力車区の「誘導掛」が「構内運転係」に職名変更された。駅の「操車掛」が「運転係(操車担当)」になったのと同時期だ。JR東日本では客貨車が尾久、高崎、新潟運転所にしかないため、動力車区の名称に戻ったのだらう。(と思って調べたらホキ800は幕張電車区、勝田電車区、仙台運転所、盛岡、秋田運転区にも常備〈運転区所は配置〉されてゐた。古くは豊田電車区、勝田電車区、長岡運転所にも配置された。) 〈運転区所名は、国鉄分割時のもの。JRになった後の名称を使はないのは、一民間企業のため〉

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