二千七十七(和語のうた)「古今和歌集全講釈」を読む
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
八月二十二日(火)
片桐洋一「古今和歌集全講釈」1998年(上)が開架式本棚にあったので、手を伸ばしこれも借りた。仮名序と真名序は無駄な文章なので省略し、三百十九頁の「巻第一 春歌上」から読み始めた。先頭の「年の内に春は来にけり(以下略)」は悪い歌ではない。春が来た喜びを感じながら読めば、悪い歌ではない。
ところが次の「袖ひちてむすびし水の(以下略)」を読み、とんでもない駄作だと感じた。その次の「春霞たてるやいづこ(以下略)」も、とんでもない駄作だ。そのあと十五首目くらいまで目を通し、古今集に美しさを感じなくなった理由を考へた。萬葉集の読み過ぎだらうか。
八月二十六日(土)
十六首目の
野辺ちかく家居しせれば鶯の鳴くなる声はあさな〱(繰り返し記号)聞く
は佳い歌だ。十七首目の
春日野は今日はな焼きそ若草のつまもこもれり我もこもれり
も佳い歌だ。と云ふことで安心した。古今集嫌ひになつた訳ではなかつた。とは云へ、このあと十八首目から二十二首目まで、若菜が入る歌が続き、しつこく感じる。選歌が悪い。
八月二十七日(土)
二十三首目はとんでもない駄作だから無視し、二十四首目の
ときはなる松のみどりも春来れば今ひとしほの色まさりけり
これは佳い歌だ。その次の二十五首目は、駄作だが紹介すると
わがせこが衣はるさめふるごとに野べのみどりぞ色まさりける
「はる」が掛詞だ。それに留まらない解釈もあり、窪田空穂が
技巧は「わが瀬子が衣」という序詞にある。
とする。序詞は小生も関心があるが、掛詞が好きでは無いから、掛詞型の序詞は駄目のやうだ。このあと二十六首目は縁語を使ふ。縁語に美意識を持つ人は、現代ではほとんどゐないし、指摘されないと気付かない。
以上見て来たやうに、古今集には佳作と駄作が混合する。それは万葉集も同じだ。それなのに、万葉集は良くて古今集は駄目だとする子規の歌論には無理がある。現に、子規一門の文明は、万葉集で辛い点を付けた歌もある。
歌集めふみ(冊)と為すとき 佳きものと悪しきものとが混ざり合ふ 人それぞれに好き嫌ひ異なる事は 世の常として
反歌
よろづはが佳くてそのほか悪きふみ(冊)これは間違ひどちらも混ざる
八月二十九日(月)
このあと春は佳い歌が無いので、夏へ進み一三五から始まって、一四一の
今朝来鳴きいまだ旅なる郭公花橘に宿は借らなん
ここでまた異変が起きる。このあと夏は佳い歌が一つも無い。秋に入り一六九からで、一七二の
昨日こそ早苗取りしか何時の間に稲葉そよぎて秋風の吹く
鑑賞と評論には
宮廷歌人が作った歌であっても、農民の立場に立って詠んだ歌であり、だから「よみ人知らず」になっているわけだが、早く『万葉集』には「昨日こそ年は果てしか春霞春日の山にはやたちにけり」(中略)の影響によって作られたことはまず間違いあるまい。しかし(中略)「早苗取りしか~秋風の吹く」の方が「月日のうつろい」をしみじみ感じさせるものがあり、また「稲葉そよぎて」という聴覚的印象によって、月日のうつろいを実感させているあたり、やはり洗練の度が加わり、まさしく『古今集』的になっていることがわかる。
さう云ふ古今集なら、大賛成だ。問題はこれまで一七二首の中で、佳い歌が少ししかないことだ。
大宮の歌詠み人がくにたみに為りて作れば佳き歌できる(終)
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