二百五、マルクスを現代に生かすには(その四、経済学・哲学草稿、ゴータ綱領批判、哲学の貧困、ドイツイデオロギー、反デユーリング論、共産主義の原理)

平成二十三年
十二月三十日(金)「経済学・哲学草稿、その一」
「経済学・哲学草稿」を読むと、マルクスの生きた時代はXX教の崩壊が激しかつた時代であり、社会が混乱したことがわかる。だから
・フランスの工場労働者は自分の妻や娘の売淫をX時間目の労働時間と呼んでいるが、それは文字どおり真実である。
・私が自分の友人をモロッコ人に売るとしたら(たとえば徴募兵の取引売買などのような直接的な人身売買があらゆる文明国でおこわれている)
といふ記述がある。
この時代の感覚では、近いうちにXX教はなくなるから唯物論が流行る。そのとき弁証法的唯物論にまで誘導しようといふのがマルクスの戦略だつた。実際にはXX教は無くならなかつた。
そればかりか今では例へ弁証法的唯物論であつても唯物論では世の中が不安定になることが判明した。しかしそのことが判つたのは毛沢東の文化大革命が失敗する昭和四十八年あたりである。あるいはその前のフルシチヨフによるスターリン批判が行はれたときからである。
だからマルクスと今は時代背景が異なる。ましてやアジアと西洋では文化も異なる。唯物論を取り入れてはいけない。

十二月三十日(金)その二「経済学・哲学草稿、その二」
マルクスの時代はヘーゲルやフオイエルバツハが流行つた。だからマルクスもヘーゲルやフオイエルバツハの流れに従い、しかしそれらを批判して弁証法的唯物論を編み出した。しかし今の世にヘーゲルが正しいだとかフオイエルバツハが正しいと云ふ人はゐない。
例へば今、倒幕と佐幕のどちらが正しいかと言つてみたところで国民は見向きもしない。マルクスの哲学は天動説と同じで大衆に向つて説く話ではない。密かに自分が信じるのは自由である。しかしその人数は極めて少ない筈だ。

一月四日(水)「ゴータ綱領批判」
1875年ドイツでラサール派とアイゼナハ派が合同しドイツ社会主義労働党が結成された。マルクスはラサール派と対立してゐたためその綱領を批判した。冒頭で綱領の「労働はあらゆる富と文化の源泉である」に対して「労働は、あらゆる富の源泉ではない。自然もまた、労働と同じほどに、使用価値の源泉である」と批判した。
地球温暖化に直面した現在にあつては、綱領のほうが正しい。自然を使用しても元の状態に戻す。これが労働であり、自然を消費することは未来の世代を搾取したことになる。この時点で労働者は搾取側に回る。
マルクスの時代は共産主義者、社会主義者の間で内紛が多い。レーニンがロシアでマルクスの主張を掲げて共産主義国を作つた。それがマルクスに絶対の地位を与へた。
現代においてマルクスの学説が役立つのは、政治活動の途中で既得権側に堕落することを防ぐことである。しかしゴータ綱領批判などに書かれたことは戦術である。戦術については、ソ連の崩壊、中国やベトナムの資本主義化でもはや時代に合わなくなつた。マルクスの戦術、戦略を用ひてはいけない。目標のみを用ひるべきだ。

一月九日(月)「哲学の貧困」
プルードンといふマルクスの仲間がゐた。次第に敵対関係となるが、その一因はプルードンが「貧困の哲学」といふ書籍を著しマルクスにも進呈し意見を求めた。これに対してマルクスが「哲学の貧困」といふ書籍で徹底的にプルードンを批判したからであつた。
プルードンの著書を読んだ訳ではないが、マルクスの主張を読む限りマルクスが正しい。私が読んだのは山村喬訳、1950年第1刷、同80年第25刷。正字体、正仮名遣ひの本である。山村喬氏の書いたとおりに刷数を重ねるのはよいことだ。新字体、新仮名遣ひだと本当に山村氏が書いたのか心配になる。
マルクスに一番同意できないのは、
文明の始まつた實にその瞬間から、生産はその基礎を、階層や身分や階級やの敵對の上に、要するに蓄積された勞働と直接の勞働との敵對の上に、置き始めたのである。敵對なくして進歩はない。これ文明が今日に至るまで從つて來た法則である。
マルクスの云ふ歴史の進歩とは資本家が現れて以降の機械の発達には当てはまる。しかしその前はこれが原因のこともあるし違ふこともある。それとは別に人間は堕落する。早ければ一箇月で堕落する。進歩と同時にそのことを考へないといけない。
マルクスに一番賛成なのは
アダム・スミスは、プルードン君の考へてゐるところよりも更に遠くを見てゐる。彼は極めてよく次のことを理解してゐた。『實際に於ては、個人間の自然的才能の差異は吾々の考へるより遙かに少ないものである。成熟期に達した時各種職業の人々を差異あらしめるやうに見えるかく異つたそれらの性質は、分業の原因といふよりむしろ分業の結果である。』原則として、人足と哲學者との差異は番犬と獵犬との差異よりも少ない。

仕事のローテーシヨンを組むことにより、他の仕事の立場も理解できる。そのことにより改善も進む。能力や特性に応じて年月配分或いは時間配分は変へるとしても、分業をなくすことに私は賛成である。
マルクスは別のところで、自働装置工場が初めて出現したときに、子供たちは鞭で労働を強ひられ、彼等は取引の対象となり契約が孤児院と結ばれたことを述べてゐる。これは平衡に達する前に利益を上げるといふ現在の日本でも行われる方法だが、さうなつた原因について私とマルクスは考へが異なるので、最後で述べたい。

一月十五日(日)「ドイツイデオロギー」
分業が資本主義の欠点であることは、ドイツイデオロギーにも書かれてゐる。
労働が分割されはじめるやいなや、(中略)その領域が彼に押しつけられ、そこから彼は抜けだすことができない。

それに対し
共産主義社会においては、社会が全般的生産を規制し、(中略)朝には狩りをし、午後には釣りをし、夕方には牧畜を営み、そして食後には批判をするということができるようになる。

この場合、「社会が全般的生産を規制し」といふ部分を見逃してはいけない。社会の規制の上でいろいろな仕事ができるといふ意味である。決して好き勝手なことをするのではない。一方で規制が過ぎれば官僚主義に陥りソ連の末期のやうに非効率に陥る。事業を営みたい人は営み、社会主義でその他の人に仕事を与へるハイブリッド社会主義が望ましいのではないか。場合によつては私有事業にも仕事のローテーシヨンを義務づけてもよい。
急速な工業化に対して、エンゲルスの次の書き込みがある。
大工業は、普遍的競争をつうじて、あらゆる個人に彼らの精力を最大限にふりしぼるように強いた。それは、できるだけイデオロギー、宗教、道徳などを滅ぼし、そして、それができなかったときには、それらを誰にもでもわかるまやかしにした。

これも完全に同感である。

一月二十二日(日)「反デユーリング論、その一」
ベルリン大学にデユーリングといふ哲学、経済学の非常勤講師がゐた。社会主義に接近し大学を追はれた。そのデユーリングの説に反論したのが、マルクスの協力を得てエンゲルスが著作した「反デユーリング論」である。以下の引用は昭和25年に発行された「マルクス=エンゲルス選集 第14巻下 反デューリング論 空想から科學への社会主義の発展」からである。
デューリング氏はつずけていう、「(前略)いっさいの労働時間は、例外なく、また原則的に、したがってまた平均などをとるまでもなく、まったくひとしい價値をもっているのである。」-デューリング氏は、運命のおかげで製造業者になることはせず、したがつて自分の商品價値をこのあたらしい法則でさだめるおそれがなく、だからしてまた、いやおうなく破産におちいるおそれがなかったことは、彼にとってはまことにしあわせである。

エンゲルスは父親の経営する工場に参画したからこのやうな書きかたもするのかも知れない。しかしデユーリングが左派でエンゲルスが右派といふ訳ではない。エンゲルスはその前で、マルクスの述べたことは
私的生産者たちからなりたっている社会の内部で、これらの私的生産者たちにより、その私的計算によりにおいて生産され、相互に交換される諸対象の價値の決定だけである」

と述べてゐる。

一月二十二日(日)その二「反デユーリング論、その二」
ロバートオーウエンについての記述もある。
共産主義への前進は、オーウェンの生涯における轉回点であった。彼がただの博愛主義者として行動しているあいだは、(中略)彼はヨーロッパ中の最大の人気者であった。彼とおなじ身分のものばかりではなく、政治家や王侯も、彼に賛成して耳をかたむけた。ところが、彼が共産主義的理論をたずさえてあらわれると、局面は一変した。」

そして私的所有、宗教、現在の婚姻形態を攻撃し、社会のあらゆる場面からの追放と社会的地位の全部を喪失した。宗教、現在の婚姻形態のどこを攻撃したかは今後調べる必要があるが、当時の社会混乱と身分差別が彼に言はせたのではないだらうか。オーウエンは空想主義者と呼ばれるが悪い意味で用ゐたのではないことが判る。
これらの空想主義者たちが空想主義者であったのは、資本主義的生産のまだ未発達だった時代には、それ以外ではありえなかったからである。


国家死滅についても述べてゐる。階級がなくなることにより抑圧機能は必要なくなる。エンゲルスは抑圧機能を称して国家としたのであつた。度々弾圧を受けた者として国家と言へば抑圧機能である。だから調整機能としての国家はその後も存続する。
特殊な抑圧権力たる國家をもちいておさえつけるべきものは、なに一つとして存在しなくなる。(中略)ひとりでにねむりこんでしまう。(中略)國家は「廃止される」のではない。それは消滅するのである。


一月二十二日(日)その三「反デユーリング論、その三」
宗教についてデユーリングは
宗教は禁止されるのである

と述べた。これは重大である。エンゲルスはこれについて
いっさいの宗教は、人間の日常生活を支配する外力が、人間の脳中に幻想的に反映したものにほかならない

とした。そして最初に自然力、次いで多数神、唯一神とした上で、ブルジヨア社会では経済的諸関係によつて支配される。だから宗教的反射が存続するといふ。一方で社会が全生産手段を把握し計画的使用によつて全成員を奴隷状態から解放すれば、宗教的反映が消滅するといふ。だから
・デューリング氏は、宗教がこのような自然死をとげるまでまっておれない。
・彼はビスマルク自身よりももっとビスマルク的である。彼は五月法令をさらに厳重にして、これをカトリック教にたいしてばかりでなくてあらゆる宗教一般にたいして布告する。

エンゲルスはデユーリングよりはるかに穏健である。しかしこの部分が私とは異なる。世界全体が生産手段を共有したとしても、言語や文化を統一する必要はない。それでは国内が不安定になる。宗教も文化の一部として同じである。文化に価値を認めるかだうかが唯物論との分水嶺となる。共産主義は民族解放戦線で唯物論を乗り越へた。資本主義は唯物論をまだ乗り越へられない。
マルクスの時代は文化の重要性がまだわからなかつた。ドイツもフランスもイギリスもインドヨーロツパ語族である。文法だけではなく語源も共通である。日本語と韓国朝鮮語は同じ語族に入つてゐない。文法は同じでも語源の共通性が見つからないためである。しかし朝鮮半島出身者は日本語がうまい。だから欧州人にとつてはドイツとフランスとイギリスは日本の本土方言と沖縄方言くらいの違ひしかない。深く考へなかつたのもやむを得ない。

一月二十八日(土)「共産主義の原理」
「共産主義の原理」といふ質問形式の著作がある。この第21問で「共産主義の社会秩序は、家族にどういう影響を与えるか」という質問に対して「男女両性の関係を、純粋に私的な関係にする」と答へる。当時の社会の弊害を理解した上でこの答を読むのであれば賛成である。つまり両家の地位、家による生産手段所有、一族など家父長的関係を清算するといふ意味である。
しかし左翼崩れの人たちは別の解釈を行ひ、男女が合意すれば何をしてもよいと考へ、今でもセクハラ騒動などが発生する。経済だけではなく社会全体を考へることが社会主義だと再定義すべきだ。マルクスの時代は西洋では社会秩序が崩壊した時代であり、また宗教はいづれ消滅すると考へられた時代である。過去の文化の蓄積も役に立つと考へなかつた。社会全体を考へれば不健全な男女関係は人口減少、貧困児、生産の減衰を招く。
社会全体といふ言ひ方に抵抗があれば、社会主義政権を目指すと考へてもよい。そのために不健全な男女関係は反対勢力の批判と、運動の停滞を招く。
第21問にはもう一つ重要な回答が載つてゐる。私的所有を無くすことは、妻が夫に、子供が親に従属することをなくす。つまり生産手段の共有が一家経営を廃止することを述べ、その次に
共産主義の女性共有などとわめきたてる超道徳的な俗物どもに対する回答でもありうる。女性共有とは、まつたくブルジョア社会にだけあって、今日売春という形で完成されている関係のことだ。しかも、売春とは私的所有にもとづいているのである以上、それとともに消えうせる。

ここで共産主義の女性共有が嘘であることが判つたが、共産党宣言ではここまではつきりは書いてゐない。その理由を次に考察しよう。

一月二十九日(日)「マルクスを現代に生かす」
労働疎外、従来の規範や宗教の破壊など、マルクスの資本主義批判は鋭い。そして生産力が増へたのだから資本主義以前に戻ることはできないと解釈するのも間違ひではない。しかしまつたく新しい社会を建設するには不確定要素が多すぎる。だからソ連も中国も内紛を繰り返した。
野生のサル山で餌の量が増へたとする。サルの群れとボスザルの地位に変化をもたらすだらう。経済を下部構造とするとはさういうことである。唯物論も採用してはいけない。

地球温暖化で化石燃料の使用を停止すれば、生産力はかなり後退する。資本主義以前の社会は最初から封建領主がゐたのではなく、目標とすべき社会が堕落したと考へるべきだ。例へば国家は協同社会の発達したものだが堕落して権力志向になつたとすべきだ。或いは鎌倉幕府は堕落した摂関政治の改善として場所を替へ朝廷とは役割分担を果たし質素な生活を送つたが後に堕落したと考へるべきだ。

プロレタリアートといふ無欲な階層による政権は、さういふものができるなら是非作つてほしい。しかしソ連や中国の権力闘争と幹部の堕落を見ると、現実には無理である。しかし目標としては持つべきだ。日本の労働運動は企業別組合だから一番当てはまるが、既得権を持つと下請けや非正規労働者を犠牲に自分たちだけいい思ひをしようとするやうになる。

マルクスの時代は従来の規範が崩壊し不安定な時代だつた。共産党宣言で女性共有への反論が不十分なのも、各勢力の中に新しい秩序への意見の相違があつたと見ることができる。この当時マルクスは各勢力の一つに過ぎなかつた。

マルクスの経済学は今でも役に立つ。どこが有効でどこが無効かを研究すべきだ。日本の学者はマルクスを鵜呑みにするか批判するかのどちらかで、それでは役に立たない。(完)


(三)へ
(國の獨立と社會主義と民主主義、その三十二)へ

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