二千五十ニ(うた)1.堀切の帰り道、2.JR東を二日間取引禁止店に
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
七月二十四日(月)
用事があり、堀切へ行った。往路の京浜東北線車内で、大崎駅にて信号故障があり山手線は全線運休で復旧に相当時間が掛かる、と車内放送があった。途中から、混雑が予想されるので女性専用者は中止と云ふ放送が加はった。英語の放送も加はり、復旧はPM12時だと云ふ。日本語は「相当時間が掛かる」のままだ。
それより英語では、お昼の12時をPM12時と云ふのか。日本語で午後12時と云ったら真夜中だ。田端駅で、駅の放送が山手線は池袋上野間で折り返しと云った。しかし日暮里まで山手線とは出合はなかった。日暮里は乗客が多い。京成と舎人ライナーから乗り換へだ。小生は日暮里で京成に乗り換へだ。
仕事が終はったら、上野に行かうと予定してゐた。しかし山手線の上野駅折返しを見るため、日暮里でJRに乗り換へた。すると既に山手線は全線開通してゐた。そのため上野へは行かず、帰宅した。
とは云へ山手線はダイヤが乱れてゐる。京浜東北線は快速運転中で日暮里は通過だ。かなり待たされて山手線に乗った。田端で、山手線の扉が開くと同時に京浜東北線が閉まった。本来なら
(1)山手線のダイヤが乱れたら、京浜東北線は快速運転を中止する
(2)山手線の遅れが基準以下で、京浜東北線の快速運転を中止しないときは田端で山手線を待つ。
私鉄なら(2)は常識だ。JR東は、旧国鉄以上に役所的になった。と云ふことで、一年間の取引禁止店に指定した。但し中旅行、大旅行では、旅行を中止するのではなく、JR東への支出を減らす(例、新幹線->普通電車)。
帰宅後、夕方になってJR東大人の休日倶楽部事務局から、映画試写会当選の葉書が来た。そのため、取引禁止期間を二日間に短縮した。

七月二十六日(水)
本日も用事で堀切へ行った。帰りは町屋から都電で、JRの定期券区間まで戻った。こちらのほうが少し安い。しかしそれが理由ではなく、本日までJR東は取引禁止店である。それにしても都電で帰れるとは魅力だ。
都電にて帰宅想へば五十年前 往路では急ぎ取引禁止線乗る


七月二十七日(木)
昨日は、帰りに小菅の東京拘置所前まで行く案を考へた。前まで行くだけである。中に入る訳ではない。近くの万葉公園にも寄る。ところが、連日の暑さである。バス停はかなり遠い。と云ふことで、もし秋以降に来ることがあれば、小菅まで足を延ばしたい。
ところで万葉公園に、万葉集が関係したものは何も無いさうだ。唯一関係するのが、万葉集の東歌
古須気(こすけ)ろの浦吹く風のあどすすか愛(かな)しけ児ろを思ひ過さむ

古須気が地名ならこの辺りだが、古須気を植物とする説もある。だから区役所も、歌碑を設置するなど大々的な関連付けはできないのだらう。
秋以降堀切に来る事あらば 荒川沿ひで首都高を見上げる園を 訪問しよう

反歌  堀切の隣は小菅万葉の古須気のことか異説もあるが
反歌  首都高を見上げる記憶水神社堤通に隅田の社
墨田区堤通の水神社に行ったのは、恐らく四十年くらい前だと思ふ。墨田区堤通にあり、明治期に隅田川神社と改名された。首都高を見上げる小さな社が、今でも記憶に残る。(終)

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