二百四、横浜市営バス(その二、港北ニユータウン)

平成二十三年
十月十三日(木)「農業専用地域も用意されたニユータウン」
港北ニユータウンは昭和四〇年に発表された。虫食い状態の市街化を防ぐために市街地と農地を分けて土地を交換した。この当時は都内でも世田谷区、足立区などは農地が多かつた。だから昭和四〇年ころまでの首都圏は農地にも配慮し計画はまだ正常であつた。

十月十五日(土)「地下鉄は利権が絡んでゐなかつたか調査せよ」
港北ニユータウンに新設された路線は三〇〇番代を名乗ることになつた。将来の増大を見込んだのであらう。しかし二つの市営地下鉄の開業で今は九路線を残すのみだ。そのうちの一つ三〇八系統は農地の真つ只中を走る。こういふ路線に乗ると昭和四〇年に帰つたようでほつとする。せつかく市街地と市街化調整地域を分けたのに、なぜ地下鉄の駅を調整地域の近くに作るのか。利権や暴利を許してはいけない。農地は永久に農地として残すべきだ。もし市街化地域に組み込むなら地価上昇分の九割を税金として回収すべきだ。
農地を通過すればニユータウンの住民も早く横浜や日吉に出られる。一人往復で五分としても全員では厖大な時間の節約になる。農地に駅は不要だ。以前、東京の下町には地下鉄の駅は要らないから通過せよと主張したことがある。地下鉄の駅が出来るとマンションが出来て古い町並みが破壊されるからだ。農地も同じである。

十月十六日(日)「港北ニユータウン営業所」
ベツドタウンは交通機関の敵である。通勤時に混んでも昼間は空になる。それに対して、熟成した市街地では昼間も乗客は多い。ベツドタウンは石油大量消費に伴ふ一時現象に過ぎない。本来職場と住居は接近すべきだ。個人事業主、中小企業にできることは任せるべきだ。一時、民間にできることは民間で、といふ言葉がはやつたがあれはまやかしである。

港北ニユータウン基本計画図にバス営業所用地の記載があるさうだ。そして計画図に沿つて平成三年に市営バス港北ニユータウン営業所を開設した。しかし平成一九年に廃止された。

十月十七日(月)「大観覧車」
港北ニユータウンは南北の二つの地区から構成される。両方の間には中規模の河川が流れ、緩衝地帯みたいな都市の息抜き地区になつてゐる。市営地下鉄二つがここでは並行に走り、センター南駅とセンター北駅が設置されてゐる。南駅は市営バス八つが集まる。北駅は今は市営バスが乗り入れない。両方の間は歩行者専用道がある。「みなきたウオーク」といふ軽薄な名称が難点である。
私は北駅まで市営バスに乗り、あとは歩いて南駅に行つた。駅前にモザイクモールと都筑阪急が入つた商業施設があり、大観覧車がある。市営バスに乗ると遠くからも見える。港北ニユータウン最大の名所である。
昔、子供を連れて乗つたことを回想しながら施設に入ると、何と観覧車は休止中で再開時期は未定である。モザイクモール入口の受付に聞いても未定だといふ。こういふときは休止ではなく廃止と思つたほうがよい。だから休止したのは七月末だといふことを受付から聞いて暗い気持ちになつた。
しかし先ほどインターネツトで調べたら十月から運転を再開した。港北ニユータウン唯一の名所が再開してよかつた。もちろん本当は農地との共存、南北センター間の息抜き地区といふ重用な名所があるのだが。

十月二十日(木)「三三系統」
港北ニユータウンに新設されたバス路線は三〇〇から三一一を名乗るが、それ以前からこの地区を走る三三、七三は従来の番号である。あと七三が都市化で徐々に延長され、後に分割して残りの半分をたまたま八〇といふ港北ニユータウンとは無関係のバスが廃止されて空いてゐたので八〇を割り当てた路線がある。
三三は経由地の変更や終点の延長、短縮で元の路線とはかなり変はつたが昭和二十年代から続いてゐる。今は平日四往復、土日は二往復である。乗つてみると農地地区も三停留所だが経由するなかなかよい路線である。
終点の「あざみの駅」は地下鉄工事で余つた土地を流用したのだらうと思はれる専用折返しが駅のバスターミナルとは反対側にある。以前の本数が多いときに作つたのだらうが無駄だし、初めての乗客はバスターミナルに行つて市営バスがないと慌てるだらう。
バスターミナルから発着することと運行本数を増やすための方策を立てるべきだ。

十月二十日(木)「ベツドタウンは社会を破壊する」
港北ニユータウン営業所は平成一九年に廃止された。設立十六年目であつた。ベツドタウンは通勤時に片道だけが混む。昼間はほとんど乗客がゐない。だから交通機関の敵である。しかしそれだけではない。ベツドタウンは社会の敵である。産業と隔離し、自然と隔離し、人間から見れば快適に見える。だから港北ニユータウンではないが、毛虫が出るからと樹木の撤去を求めたり、昔からある用水路を暗渠にさせたりする。
産業と自然とともに人間は生活すべきだ。ベツドタウンで育つとろくな人間にはならないだらう。マンションで育つてもろくな人間にはならないだらう。しかし今の首都圏はそのほとんどがベツドタウンである。港北ニユータウン営業所の跡地にはコンピユータ会社のデータセンターが建設された。巨大なビルには人影が見へない。シヤツターの付いた大きな機械搬入口だけが目立つ。不気味な建物を見ながらそう思つた。


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