二百四、横浜市営バス(その三、JR東日本は再民営化が必要だ)

平成二十三年
十月二二日(土)「JR東日本会長松田昌士氏」
横浜市営バスは平成十五年ころは営業収入の一割程度を補助金として市の一般会計から受け取つてゐた。補助金をなくさうといふことで平成十五年にJR東日本会長、大学(名誉)教授、監査法人横浜事務所長、金融コンサルタントからなる「横浜市市営交通事業あり方検討委員会」を設置し十二回の会議を経て翌年一月に答申を出した。
この答申はよくない。しかもこの答申さへ、最初から市交通局の用意した筋書き以上は実行されなかつた。

さて、委員会の座長は松田昌士氏でこのときはJR東日本会長だが、最近のJR東日本はよくない。まづ数年前からホームの自動販売機に商品を補充する業者がうるさい警報音を出して荷物を運ぶようになつた。私鉄は見たことがないからJR東日本だけであらう。ああすれば危なくはないが周りにゐる人は耳障りで迷惑だ。最初はたしか荷物を積み階段を上がり降りするときだけだつたが、次に荷物のないときも鳴らすようになり、つひに平坦なホームでも鳴らすようになつた。

次に、屋内に売店の冷房室外機を設置するのはやめてもらひたい。例へば新橋駅の地下改札から地下鉄までと、武蔵浦和駅の武蔵野線乗り換へ通路が顕著だ。夏に歩くとただでさへ暑いのにこの二箇所だけすごい暑さだ。売店の店員だけ涼んで室外機から排出される熱で客に暑い思ひをさせるといふその無神経が理解できない。どうしても売店の従業員を涼ませたかつたら、室外機の廃熱を排気する装置を付けるべきだ。

三番目に、改札の入口と出口が共通なのも不便だ。電車が到着して出口の客が混んでも、その前の空いてゐたときの既得権で自動改札のほとんどが入場客に占領されてゐる。外国で入口と出口が共通の自動改札はほとんど見たことがない。

四番目に、混んだ駅は地下鉄南北線のようにホームに壁と自動扉を作るべきだ。今の駅の仕組みは乗降客の少なかつた時代のままだ。都市部はだんだん乗客が増へたのに怠慢である。二両か三両編成ならまだしも十両以上が勢いよく駅に入るから危険なことこの上もない。
国鉄時代はホームドアの技術がなかつた。しかしその後に開発され地下鉄では次々と採用してゐるのにJRは昨年やつと試用を始めた。本来であればJR東日本がまづ採用し、それを私鉄などが真似をすべきだ。

十月二三日(日)「十五分圏内で駅まで」
市営交通事業あり方検討委員会の結論は市営バス民営化だが、これは市長によつて無視された。
二番目の目玉は、鉄道の駅まで十五分以内で行けるバスといふことだが、これは交通局が委員会で配布した資料に既に載つてゐるから市の意向に沿つただけだ。この二番目の目玉はよくない。バスを利用する人の中には、目的地に安く行けるからといふ理由の人も多い。市電時代には、通常の路線が十三系統と、朝のラツシユ時のみに運転する二系統の計十五系統があつた。このうち例へば六角橋は四系統の始発点で、いづれも東神奈川駅前を経由してから市内中心部各所に向つた。
あり方検討委員会の答申に沿へば六角橋からは東神奈川駅前まで十五分以内に行けばよいことになる。あとはJRで横浜や桜木町に行くか、バスを乗り継げといふことだが、それでは運賃が高くなる。
駅まで十五分以内を原則にするなら、すべての交通機関を共通運賃にすべきだ。例へばバスで東神奈川まで行けば二一〇円、そこからJRで横浜まで行つたら合計で二二〇円、桜木町なら二三〇円とすべきだ。

十月二八日(金)「ベツドタウンは禁止すべきだ」
日本社会が悪くなつた理由の一つに、職場と住居が分離したことがある。その結果ベツドタウンは死んだ街となつた。街とは昼間も産業の息吹がなければいけない。住居にも産業の息吹がなければいけない。
首都圏の通勤電車で英語の録音放送をするJRや私鉄は醜悪である。地方の鉄道は英語放送なんかやらない。少しでも経費を節約するためである。首都圏のベツドタウンの長距離通勤に寄生する有害生物といつてもよい。

十月二九日(土)「民間でできることは民間に、の偽善」
答申は「民間でできることは民間に」と主張する。この言葉を最初に聞いたのは今から十五年くらい前だらうか。最初に聞いたときにまづ思つたことは、現業を民営化したら行政部門はますます特権化するといふことだ。行政と現業の給料が等しく、現業と民間の給料を等しく、民間と民間も等しくすべきだ。
民営化することで効率が上がるのは官僚制度に原因があり、給料の格差は単産をまとめる全国組織(連合など)の責任である。

次に民間は競争が適正に行はれなくてはいけない。JR東の通勤電車のように競争の少ないものは民営化したとは言へない。競争があるのは湘南ライナーくらいなものだ。中央線と総武線は不十分な競争と言へる。残りの厖大な路線はすべて首都圏への人口集中にあぐらをかいてゐる。
民間も大手は官僚化してしまつた。原因は下請けである。景気の変動を受けるのが民間だ。大手は下請けや派遣を安全弁に使ふから変動を受けない。つまり民間とは言へない。

十月三十日(日)「市電の代替路線」
生麦事件で有名な生麦から横浜駅までは、かつては市電の二系統と三系統が走る華やかな路線であつた。市電廃止ののちはバスの八六系統が走る。しかし平日四本、土曜二本だけで休日は運休する。
ずいぶん寂れたものである。理由は国道一五号と首都高速横羽線が並行に走るその細長い土地が今ではマンシヨンとビルばかりになつたためである。マンシヨンの住民は通勤は電車で東京や川崎に行く。車を持つてゐるから買い物は休日にまとめ買いをする。マンシヨンと事務所以外は何もない死んだ街になつた。
私は土曜の夕方に生麦まで乗つてみた。乗客は二十人ほどでまあまあの賑わいだつた。平日朝に横浜までも乗つてみた。乗客は三人だけだが生麦車庫から横浜への出庫車なのでこれでもよいのだらう。
終点の生麦は首都高速と国道が離れる。そこには昔の漁師の街がある。落ち着いたいい雰囲気である。

十一月一日(火)「平和台折返場」
二八系統は八六系統より更に少ない。平日と土曜休日に平和台折返場から保土ケ谷車庫方向に片道のみ三本である。
片道しかないからまづ五三系統で平和台に行き八六系統を待つた。(時間があるのでベンチで図書館から借りた共産党宣言を読んだ。「家族の廃止」「夫人の共有」の話があつた。そのような批判にマルクスが反論するのだが反論の仕方がよくない。このままでは広範な支持は得られない。それが二百五、マルクスを現代に生かすにはになつた。)

十一月二日(水)「一〇六と並行路線」
二八系統に乗つたのは土曜の午前である。途中かなりの乗客があつた。これは平和台の二つ先の権太坂上まで一〇六系統が走ることによる。乗客は二八を選んだ訳ではなく先に来たから乗つただけだつた。ここの路線は設定がよくない。

十一月五日(土)「消へた芹が谷折返場」
市営交通事業あり方検討委員会の答申で実効のあつたのは亀の子山、芹が谷など末端路線の並行バス会社への移管と下請け委託と平行する鉄道のある赤字路線の廃止である。かつては市営バスの一大拠点であつた芹が谷折返場周辺の路線はすべて神奈川中央交通に移管された。移管や下請け委託はよくない。同一労働同一賃金に反するからだ。下請けに出したいなら交通局の管理部門を出すとよい。
結局のところ市営交通事業あり方検討委員会は交通局の都合のいいように使はれただけではないのか。しかし市営バスが残つたのはよかつた。農村時代の名残を官僚組織の怠慢から残すのではなく、都市化はしても能動的に残すバス路線になつてほしい。(完)


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