二百三、船の科学館閉館(その一、元自衛隊幹部は日米問題を発言してはいけない)

平成二十三年
九月十三日(火)「元自衛艦隊司令官の発言」
船の科学館が九月末で閉館することになつた。その話題に入る前に、アメリカの雑誌「ディフェンスニュース」に海上自衛隊の自衛艦隊司令官を三年前に退官しその後ハーバード大学アジアセンター上席研究員になつた香田氏の発言が載つた。「日米は協力して海上部隊をさらに整備しなくてはいけない」。この発言は許し難い。まづ幹部自衛官が退官後に外国の職に就くこと自体が異常だ。それ以上に元幹部自衛官の政治発言は許されない。自衛隊内には影響を受けるものもゐる。
しかし更に許しがたいのは日米同盟に発言したことだ。日米同盟は日本の軍事部門にとつて楽なものである。負ける恐れはないし演習でアメリカの真似をすれば済む。 しかしゼロサムの原理で負の経費は国民が担ふ。具体的には文化及び社会の破壊である。元幹部自衛官が日米同盟に言及することは絶対に許されない。
せつかくの東北大震災での自衛隊の活躍を無にする行為だ。

九月十四日(水)「香田氏の問題点を再整理」
香田氏の問題点をもう一度整理すると、自衛隊幹部が日米同盟に発言することは任務の放棄だ。屋根屋に修理を依頼したら「当社の修理した屋根は雨天の時は使へません」といふようなものだ。食品会社の幹部が「当社の製造した食品は食べられません」といふのと同じだ。予算を使ひ給料をもらつてゐながら米軍の陰に隠れる。そんな自衛隊では意味がない。米軍がゐてもゐなくても黙々と防衛の任に当つてこそ自衛隊である。
日米同盟に言及する元幹部は今までに払つた給料から生活費分を控除した残りを返還すべきだ。

九月十五日(木)「元海軍少尉の講演、その一」
海の科学館に今夏は二回訪問した。一回目に青函連絡船の映画を途中から見終わつたところで閉館時間になつたためだ。二回目の訪問で映画を見た後に本館に戻ると、白いYシヤツ、半ズボンに肩章を付けた年配の方がハンドマイクで「戦艦大和の模型の前で当時の生活について一時半から話をします」と館内を巡つてゐた。

同時開催で、北方領土、尖閣諸島、竹島についての展示が本館奥の入場無料部分で開催してゐる。領土問題は経済水域など西洋のやり方をアジアに持ち込んだために発生したと言へる。そして先住民の土地を奪つたアメリカと日本など周辺国の間では発生しない。だから領土問題を過度に扱ふと親米タカ派に巻き込まれる。海の科学館には多少その傾向はあるように思ふ。
この老人も親米タカ派なのではと心配になつた。「着ているものは海上自衛隊ではなく海軍の制服ですか」と質問するとにこにこして答へてくれた。その話し方で「このおじいさんはいい人だ」と瞬時に判つた。

九月十六日(金)「元海軍少尉の講演、その二」
おじいさんは概略次のことを話された。
・江田島の兵学校の生徒だつた。槍の先に機雷を付けて下から敵艦に当てる訓練もした。
・山本五十六が来て二回講演を聞いた。真珠湾攻撃は失敗だつたと言つていた。
・「お母さん、お父さん」と言つて死んで行つた。平和は大切だ。
・戦艦大和は二千七百名が戦死した。海軍は人が足りなかつたから少年兵も多数乗つてゐたと聞いてゐる。(聴衆の小学生に向つて)君たちより少し上の年齢なんだよ。
・兵曹長だつたが終戦で皆が一階級上がつて少尉になつた。

平和の尊さを訴える貴重な講演であつた。八十四歳ださうだ。

九月十七日(土)「元特攻隊員の話」
今から三十年くらい前に元特攻隊員の話も聴いたことがある。特攻隊員に悪い人はゐないよ、としみじみと語つてゐた。こういふ人たちの話からは平和が大切だといふ気持ちが伝はつてくる。
しかし昭和が終わり平成になつた辺りから日本は変になつた。一つはやたらと日米同盟強化を叫ぶ連中である。もちろん昭和にもさういふ主張はあつたが、当時はまだ米ソ対立の時代だからどちらの陣営に付くのかといふ選択の問題だつた。だから日本に害はなかつた。ところが平成以降は拝米新自由主義で日米同盟強化を叫ぶ連中が現れた。これは日本の文化を破壊し国民、特に弱者に影響を及ぼす。
二つには日本だけが悪いと叫ぶ連中である。もちろん日本は悪い。しかし世界のほとんどを植民地にした西洋列強も悪い。鎖国の日本を無理やり開国させ、インドや中国まで植民地にすれば、日本が慌てて富国強兵に走るのは目に見へてゐた。
それなのに米英仏は戦前から民主主義だつたと平然と賞賛する連中が出てきた。西洋の植民地支配を正当化するとんでもない連中である。

余談だが元特攻隊員は、旅客機でもさうだが飛行機は離陸のときは階段を一段ずつ上がるみたいに昇ると語つてゐた。だから昔は旅行で航空機に乗ると本当にさうなのか座席で感覚を澄ませるがさうは感じない。これは運動エネルギーと高度エネルギーの変換だと後に気付いた。速度が出ると機首を上に向け速度が落ちると前に向ける。今はコンピユータで均衡点で固定させるのだらう。だから乗客には判らない。

九月十八日(日)「虚無世代」
戦争を体験した世代は「軍部に騙されてあんな戦争に巻き込まれたが、我々は精一杯やつた」と軍部は批判しても祖国の悪口を言ふ人はゐなかつた。私の叔父も徴兵され体が弱く看護兵になり、それでも駄目で陸軍省に事務の仕事が一人空いた、と回された。終戦で復員し床屋に行つた翌日亡くなつた。広義では戦争の犠牲者とも言へるが叔母たちは怨みは言はず「あんな下つ端でも陸軍記念日に和菓子をもらつて来た」と懐かしんでゐた。
その後の世代に悪い人が出始めた。虚無世代と言へる。もちろんほとんどは良い人たちだが、悪い人の比率が五%を超へると世の中は悪くなる。

九月十九日(月)「陸上自衛隊元幹部隊員と元国鉄技師長と南京事件」
二十七年くらい前に環境計量士の懇親会で、陸上自衛隊の幹部自衛官を定年退官した人と元国鉄技師長と私と三人で話をした。 元国鉄技師長が、戦争のときに市内を日本兵が強姦して回つた話をした。元幹部自衛官が「こういふおじいさんの話は気にしなくていいから」と私に言つた。戦争とはそういふ物だから私はまつたく気にしなかつた。毎日多数を殺したり殺されたりすれば良心が麻痺する。だからアメリカ軍もソンミ村の虐殺事件を起こしたし、ベトナム人の首を切り後でアメリカ兵がニヤニヤする写真も公開された。枯葉作戦も人類と大自然に対する重大な犯罪である。空襲や原爆や赤十字船攻撃も国際法違反の残虐行為である。最近でもグアンタナモ米軍基地やアブグレイブ刑務所など残虐行為を繰り返してゐる。
元国鉄技師長は本人が残虐行為に参加したのではなく、そういふことがあつたがしかし自分は日本のために戦った、といふ話であつた。
陸上自衛隊の元幹部隊員はそういふ事件はもちろん知つてゐる。そういふことは二度と起こさないと誓ひながら定年まで勤務したのであらう。
それに対し安直に日米同盟強化を叫ぶ元幹部自衛官が出てきたのは心配である。こういふ連中は実戦で実際に死傷しないと判らないらしい。一度日米同盟強化を主張する者だけを選抜してイラクかアフガニスタンに行き異常心理状態を体験するのもよいかも知れない。そういふ目的のための時限集団自衛権なら試す価値はある。

九月二十日(火)「国鉄大量解雇の原因」
元技師長は当時の日本社会党について、非武装中立を止めないと政権を取れないとも言つた。国鉄は労使が激しく対立してゐたから社会党を激しく非難してもよさそうだが、逆に社会党を心配してゐたから良心的な人なのだらう。
ちようど国鉄が貨車操車場の廃止を発表した直後だつた。後の民営分割大量解雇の原因はこの貨車操車場廃止にある。全国に高速道路が作られ国鉄貨物のシエアは激減した。操車場廃止の話もした。

九月二十一日(水)「日中関係は長期志向で」
南京事件については、いつまでも日本が反省を表明するのはよくない。アメリカが原爆は絶対に許されない人類史上最悪の犯罪であつたと表明したら、日本側は何かアメリカに強く出ないといけないのか、と逆に思つてしまふ。
戦後の冷戦時代はやむを得ないとしても、大手新聞は今でも拝米、反中を国民に植え付けようとしてゐる。例へば中国のサイトに反日の投稿があるとすぐ日本の新聞は報道する。しかし十三億人のうち僅かが投稿しただけではないか。アメリカにも日本をジヤツプと言つて馬鹿にする人もいる。白人優位主義の人もゐる。なぜこれらは報道しないのか。南京事件が今でも大きく扱はれる理由に、これら大手新聞を無視することはできない。
南京事件については、師団長に戦争犯罪を肯定する人間がゐてそれを放置した陸軍省の大きな落ち度である。大恐慌以来国内の政治が荒廃したことも挙げられる。
共産党は蒋介石が軍隊を市内に放棄したのが原因とあまり問題にはしなかつたし、国民党左派の汪兆銘は南京に親日政権を作つた。
南京事件の原因として国民党軍の軍規の悪さが日本軍に伝染したとも考へられる。しかし日本はアジアで唯一西洋の仲間入りをしたといふアジア各国への蔑視が根本にあることを指摘しなくてはならない。そしてアジア唯一の先進国といふ当時と同じ考へが今でも多くの日本人にあることも指摘しなくてはいけない。

九月二十二日(木)「青函連絡船」
青函連絡船の映画は、貨車を積み込むための船のゆれを吸収する桟橋、米軍機の空襲、洞爺丸沈没事件など見応えのある内容でだつた。戦後に発足した国鉄は青函連絡船の改良や新幹線など日本の技術を牽引する役割を果たしたが、後に官僚化した。昭和四五年のころに、営団地下鉄は空気バネ台車、サイリスタ制御、アルミ製。一方の国鉄はコイルバネ台車、抵抗制御、鋼鉄製とその差は大きかつた。
ある私鉄関係者が当時ため息混じりに、国鉄は鉄道管理局があり北海道総局があり国鉄本社がある。現場と古ぼけた本社ビルしかない中小私鉄とは違ひますよ、と話したことを思ひ出す。

陸軍も、当時は師団の上に軍、方面軍、総軍、参謀本部があつた。官僚組織は上部が肥大化し現場と乖離する。組織を官僚化しないことが大切だ。青函連絡船が煙突にJRのマークを付けて廃止になつたことは残念であつた。


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