二千四十四(うた)(モリカケ桜河柳藪黒敗トリー放債カルト、二百六十二)1.偏向マスコミに騙されてはいけない、2.岸の戦争責任は東條以上
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
七月十五日(土)
偏向の一部マスコミが、モリカケ桜河柳藪黒敗トリー放債カルトの解決義務派の記事で、五人に移行を、とさりげなく書く。これはまやかしだ。萩生田は、落選中にカケから給料をもらった上に、カルトでは突出して関係が深かった。
他の四人とは区別しなくてはいけない。萩生田が、これらを解決すると云ふのなら別だが。

七月十六日(日)
近鉄大和西大寺駅から約5キロ離れた霊園に、慰霊碑が作られた。産経新聞のホームページによると
高市氏は会見で、慰霊碑の設置について「場所は当初、事件現場近くも考えたが、悪い想像をすると、ペンキをかけるなどの被害、トンカチで破損されるような被害が起きてしまってはいけない。だから(不特定多数の人が訪れない)霊園内とした」と語った。(中略)そばに防犯カメラを設置し、警備員が巡回している。

しかも完成前は
高市氏側は昨年秋から別の懸念も抱えていた。今年4月の県知事選だ。(中略)高市氏が建立を主導する形にみられれば、他方から反発を招き、計画が頓挫する恐れもあった。
一連の状況を踏まえ、(中略)留魂碑の計画を大半の県連幹部に伝えず、水面下で進めた。

さて
奈良選出の国会議員は「元首相を暴力で殺害するという民主主義への挑戦は、(以下略)」

嘘の答弁をしたり、公文書改ざんで自殺者を出したり、文部科学政務次官の個人情報を歪曲して流すことは、民主主義への挑戦ではないのか。大半の県連幹部に伝へず、水面下で進めることは、民主主義への挑戦ではないのか。
だから今でも反発が大きい。駅から5Km離れた場所に作り、防犯カメラと警備員では、おそまつ過ぎる。

七月十七日(月)
我田引水と云ふ言葉がある。今は農業用水が整備されて、あまり聞かなくなった。モリカケ桜河柳藪黒敗トリー放債カルトの解決義務派では、権力を自分の田に引かうとする我田引権が目立つ。高木は
1人よりも、今それぞれのポジションで活躍をさせていただいております5人で運営していく方が我が派にとって良いのではないか

まづ一昨日も指摘したが、萩生田は落選中にカケから給料をもらひ、カルトとの関係は自民党内でも突出する。そんな男を含めてはいけない。
次に、今までは会長代行二人で運営して来たのだから、四人(高木の発言では五人)ではなく、六人のほうがよくないのか。高木はとんでもない我田引権だ。今からでも遅くはない、五人ではなく六人の間違ひだったと訂正したほうがいい。あれ、七人ではなく六人なのかと、世間から注目される。

七月十八日(火)
我田引権と云へば、萩生田も酷い。産経新聞のホームページによると
「会長人事を含め、一日も早く新しい体制をつくることが望ましい」と述べた。

カケカルトで大問題を起こしたので私は辞退します、と追加するのなら、この発言は受け入れられる。追加が無いのなら、自分が会長になると云ふに等しい。モリカケ桜河柳藪黒敗トリー放債カルトを解決しますと云ふのなら、これも受け入れられるが。

七月十九日(水)
高木の五人発言には、裏があった。高木を外されないためだ。週刊文春のホームページによると
高木氏といえば気になることがある。週刊文春(7月20日号)にはこんなコメントが。
「(前略)最年長の高木氏を一時的に祭り上げる案もあるが、最後にはパンツ事件が引っかかり、暗礁に乗り上げる」(政治部記者)
パンツ事件とは何か? 実は高木氏は「これまで何度も下着ドロボー疑惑が浮上している」のだ(同前)。復興大臣となった2015年に、週刊文春や週刊新潮が報じている。これは単なる噂話やゴシップではない。週刊誌報道を受けて地元の「日刊県民福井」は1面で『高木氏週刊誌報道 窃盗疑惑は「事実」』と書いた(2016年1月13日)。当時の福井県警の捜査関係者が証言した。
だから高木氏の呼称がふつうに「パンツ」となっていたのである。ちなみに週刊文春の記事によると高木氏は「萩生田だけはダメだ」と反発しているという。

ここはパンツ、ではなかった高木さんにがんばってもらひたい。萩生田がモリカケ桜河柳藪黒敗トリー放債カルトの解決に全力を尽くすなら別だが。

七月二十日(木)
記事は次に
自民党と統一教会でいえばこんなことがあった。
『韓鶴子総裁「岸田を呼びつけて教育を受けさせなさい」内部音声を独自入手「日本の政治は滅びるしかないわよね」旧統一教会』(TBSテレビ7月3日)
《旧統一教会、「世界平和統一家庭連合」の解散命令請求に向け、国が「質問権」を行使する中、教団の韓鶴子総裁が日本の幹部らおよそ1200人を前に、「岸田総理や日本の政治家を韓国に呼びつけて、教育を受けさせなさい」と発言していたことがわかりました。》

この件について、日刊スポーツのコラム「政界地獄耳」は
《不思議なのは保守派が心酔する旧統一教会の理屈は保守派のそれと全く合致せず、日本を侮辱し戦犯国と呼ぶなど聞き捨てならない発言ではないのかということだ。自民党内からも保守派からも総裁の発言に怒りどころか、苦言すら言わないことが保守派の漂流なのではないか。(中略)それを保守と呼べという方が無理ではないか。》
本当に不思議である。こんなに「反日」を標榜する旧統一教会を前にしてなぜ保守派や安倍派は沈黙しているのか。下村氏も萩生田氏も、ついでに高木氏も韓鶴子総裁に反撃したらどうだろうか。

原因は、敗戦になった途端、反米から拝米に転じた岸信介だ。
反日のカルトに保守派沈黙守る 拝カルト拝欧米のニセ保守派かな


七月二十一日(金)
現代ビジネスのホームページに
「どうして岸信介を外務大臣にしたのか」安倍晋三の祖父を「天皇が嫌っていた」理由…「戦争責任の重大さは東條以上」

が載った。安倍は
折々のインタビューで、祖父岸信介への思慕を隠さなかった。(中略)ただ、政治家は身内の枠組みを政治の枠組みと重ね合わせることは避けなければならない。

身内だけではない。お友だち依怙贔屓も避けなくてはいけない。
戦前に力を持っていた政治家や軍人が、戦後、たとえば大臣になったり、叙勲を受ける際に、昭和天皇の前に名簿が差し出されると、昭和天皇は「この男は大丈夫か」とさりげなく尋ねたという。そういう懸念を示された人物の名は、関係者の間では秘密裏によく囁かれていた。(中略)しかし岸の場合は違う。実際の証拠とともに、天皇が岸に不信感を持つことが伝えられたのである。


七月二十ニ日(土)
2015年8月、東洋経済新報社にある石橋湛山に関する資料袋から、ある私信が発見された。(中略)昭和35年4月20日付となっており、それは石橋湛山元首相が岸信介首相に宛てたものであった。

私信の背景にあるものは
60年安保は議会で審議中だったのだが、岸首相は与党勢力が多数派であることを利用して、強引な議会運営を始めていた。(中略)  「安保反対、岸を倒せ」というスローガンに、国民の意思は次第に集約されていった。岸は、そういう国民の反対を「共産主義者の煽動」呼ばわりするなど、強引に対抗しようと画策していた。
岸の前の首相である湛山は、健康を害してわずか60日余で退陣するが、最大派閥を動かしている岸が外務大臣であり、次期首相は岸にすんなりと譲ることになった。
ただし湛山と岸の政策はまったく異なっていて、分かりやすく言えばハト派とタカ派の違いとも言えた。岸の強引な政治手法に、湛山は我慢ならなかったのだろう。


七月二十三日(日)
そこにはこう書かれていた。湛山が首相になり、閣僚名簿を「ある一人の人」に見せたのだが、その人は名簿を見て、次のように言ったというのだ。
「自分はこの名簿に対して只一つたずねたいことがある。どうして岸を外務大臣にしたのか、彼は先般の戦争に於いて責任がある。その重大さは東條(英機)以上であると思う」(『自由思想』2016年5月号)
湛山は私信のなかで「天皇」という語は用いていない。(中略)しかし、一文を読めば分かるのだが、これは天皇以外にありえない。(中略)「東條以上」との言は、一閣僚ではあるが、軍人よりも責任が重いと断定していたという意味だ。

岸は東條に次ぎ二番目の敗戦責任があると、小生はこれまで主張してきた。しかし昭和天皇は、岸が東條以上だと云ふ。小生も今後は昭和天皇に倣ひ、東條以上の敗戦責任岸信介と呼ぶことにした。

七月二十四日(月)
湛山の私信を読んだ岸は、特に驚いたふうもなかったとの証言もある。天皇は自分たちの権力行使の盾であり、それ以上でも以下でもないというのが官僚たちの天皇観である。(中略)天皇が近代史におけるそういった建て前を批判する目を持っていたと考えれば、戦後政治に岸のようなタイプが存在することはおかしいのではないかとの問いだったのではないだろうか。
改めて整理することになるのだが、「太平洋戦争時の閣僚」「A級戦犯容疑者」「60年安保時の首相」「昭和の妖怪」(中略)「旧統一教会との密接な関係」と表現された岸にとっては、天皇は常に利用する対象でしかないように思われる。

「週刊現代」2023年7月15・22日合併号より抜粋したさうだ。中略の部分には「戦後政治の国粋的潮流の中心」「親米右派の政治家」がある。一つ目と二つ目は逆方向で、並べるとぼやけるので省いた。(終)

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