二千四十一(和語のうた)1左千夫の歌集を久しぶりに読む、2(1調べ.2内容)->(1歌を超えた物語.2調べ)
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
七月九日(日)
左千夫の歌集を久しぶりに読んだ。その訳は、子規の本を四冊借り、その中に歌会がある。これがひどく低調だ。左千夫も低調の為に子規の歌会に出席し、歌を磨いたのではないかと思ひ、左千夫の歌集を借りた。岩波書店の「左千夫全集第一巻」昭和五十二年発行。土屋文明、山本英吉編集。
明治三十三年の途中まで読み、感心したことは和語優勢の美だ。和語のみの歌が多く、漢語が少し入る歌もある。どちらも和語優勢だから美しい。今までは感じなかった感想だ。なぜ今まで気付かなかったのか不思議だ。
敷島の大和言葉の多き歌 調べ柔らか美しく だが貫之の流れでは他が目立ちて調べを隠す
反歌
久しぶり左千夫の歌を読み始め初めて気付く大和言葉に
七月十日(月)
明治三十三年を読み終へて、歌は連作で詠まないと佳さが分からないことに気付いた。そして左千夫に長歌が多いことも目立った。前回左千夫の歌集を読んだときは、個々の歌で佳いかどうかを感じたが、それでは駄目だった。
そして昨日も指摘した、和語優勢の美しさ。明治維新以降、新しい技術と制度が入り、洋語のままや漢語に翻訳したものを、日常の文章や会話で使ふやうになった。しかし和語を優勢にすることで、美しさを損なはない。
明治三十二年までの歌には、優雅を詠ったものが僅かにある程度だ。つまり左千夫の作風は明治三十三年で変化はない。変化したのは、歌が多くなった。あと、長歌が入るやうになった。これはよいことだ。
七月十一日(火)
本日は、明治三十四年の途中までを読み終へた。新聞「日本」の子規選に、左千夫の旋頭歌が載り、子規は旋頭歌も尊重したことが分かる。
昨日も述べたが、連作で読むと個々の歌に飽きない。そして、左千夫は定型化することに美しさを感じてゐたのだと判る。それは子規も同じだったと、先日書いた。
ここまで読んで、長歌が多いことには驚く。岩波書店の「左千夫全集第一巻」は、歌をすべて載せることを目指し、これはよいことだ。長歌は、連作と同じ効果を持つ。
七月十四日(金)
明治三十五年まで読み終へて、歌の鑑賞は「1調べ.2内容」から「1歌を超えた物語.2調べ」にすべきだと気付いた。「内容」も入れるなら「1歌を超えた物語.2調べ.3内容」だが、もはや影響度は低い。
小生が、左千夫の歌で佳いと感じる割合が5%の理由が判った。長歌が多いことと、短歌が並んで連続性を持つことが、この結論に導いてくれた。
万葉集は、次の物語り性があったのではないだらうか。
1.漢字の影響を受ける前の発音を記録する
2.言霊を記録する(終)
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