二千四十二(うた)環八を走るバス路線
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
七月十日(月)
練馬区へ行く用事があり、国際興業バスの平和台郵便局バス停を利用した。スーパーのライフが見えた為、すぐ前の平和台駅バス停も利用した。ライフの食品売り場に、普段食卓で飲む清酒の樽酒版180mlカップがあった。買はうかと思ったが、小旅行なので止めた。昼に酒を飲んでよいのは、中旅行以上だ。
帰宅後に地図で調べると、ときどき用事のある場所もこの路線で行けることがわかった。練馬北町車庫が近い。前にも利用したことを思ひ出した。
この路線は、環八を走る。環七を走るバス路線はあるが、環八は井萩駅付近の短区間を除いて無い。唯一の例外がこの路線だ。環八は、長い間六車線で笹目通りにそのまま繋がった。だから笹目通りを環八だと思ふ人も多かった。埼玉側から南下すると、笹目通りを新大宮バイパスだと思ふ人も多かったが。つまり昔の感覚では、新大宮バイパスと環八は一本だった。
唯一の例外は、赤羽都電終点(今の赤羽岩淵)から志村坂下までは、何の変哲もない二車線道路を環八と称したが、本物の環八とは離れた孤島だった。
小生は1984年以降、車を運転しなくなったので(アメリカから帰国後に、アメリカで取得した免許を埼玉県公安委員会のものに書き換へ、環八から鶴見まで一回往復し、あとは更新しなかった)知識が更新されないままバスに乗車し、笹目通りと分岐する四車線の環八が出来たことを知った。
こちらは四車線なので、人にもある程度優しく、バスも走る。とはいへ、練馬春日町駅で左折するので、その先は無くなる。
環八は 車線の数が多すぎか 或いは後に作られた 生活道と隔たりて 工業流通通過の為に

反歌  環七は東急都営関東に国際などのバス路線あり

七月十一日(火)
今回は、第一段階として国際興業練馬営業所の路背化を調べ、第二段階として環八を調べ、第三段階として西武バス、関東バスを調べた。このうち第一段階で、驚くことがあった。成増駅北口から下笹目までのバスが、2020年10月から朝夕のみになってしまった。
かつて鶴見に住んでゐたときに、妻子とともに実家に泊まると、応接室の丸テーブルに置いてある国際興業の路線帳を見た。成増から下笹目までと、少数が戸田車庫まで来たのに、下笹目だけになった。インターネットで調べると、1972年成増駅北口と蕨駅西口、1998年成増駅北口と下笹目、2004年戸田車庫から練馬車庫へ移管し出入庫線を廃止。
小生が見た路線図は、2004年前と後の二種類だった。

七月十二日(水)
このバスに往路に乗る機会が、二度あった。一度目は八時半くらいに乗車し、志村三丁目駅で多くが降りた。この路線は赤羽志村三丁目が中心だと、このときは思った。二回目は七時過ぎに乗車し、このときは志村三丁目駅で多くが乗った。なるほど一回目は通勤客が多く、二回目は通学客が多いことに気付いた。
上板橋へ行くのに往路もバスを使ひ、常盤台三丁目から歩いた。同じ場所に練馬北町車庫から歩いてみた。歩く距離が少ないが、本数が少ない。常盤台行きが一日136本に対して、練馬駅行き(平和台止まりを含む)は49本だ。
小生は50本以上を頻繁な路線と判断するから、49本なら悪くはない。しかし朝の6時53分の次が7時14分は開き過ぎる。志村三丁目から先の混雑を見て、さう思った。余談だが、昭和53(1978)年に都営と国際興業の共同路線で、都営志村車庫から赤羽、王子経由で池袋までの路線が廃止になった。都営、国際合せて確か67往復くらいあったのに、と驚いたことがある。50往復以上を頻繁路線と判断する思ひ出である。
ついでに、このとき同じく都営と国際が並行路線(共同運行ではない)で、王子駅から北区神谷町、環七経由で常盤台教会までも廃止になった。国際興業は、都営廃止後に上板橋まで延長した。
小旅行 時間運賃電車より多くなっても 寄り道をするは楽しく 発見もある

反歌  初めての街へ道行く冒険と発見がありこれは道楽(終)

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