二千三十三(うた)1.キューポラの残る街、2.川口市美術家協会選抜展
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
六月二十六日(月)
本日は、川口市街で仕事があった。かつてサッポロビールの工場があった近くで、元はキューポラの街だった。マンションの向かひは、今でも鋳物工場があり、稼働してゐる。
新しく今期の管理組合理事長になられた方が、連絡先として名刺を管理室に貼るやう来られた。悠々自適の人生だ。元は鋳物工場の経営者だったのかも知れないし、違ふかも知れない。街の雰囲気が、理事長を気さくにするのかも知れない。
ここから少し川口駅に戻った所は、小生が一年半ほど前に、管理人専任として勤務したマンションがある。管理人兼清掃ではなく、清掃員がほかに一名ゐる。一ヶ月間は平日と土曜に勤務したが、平日は夕方までで、母がデイサービスから戻る為、翌月からは半日の土曜のみ勤務にしてもらった。
管理人専任と云っても、全く清掃をしない訳ではない。ごく一部を担当する。小生は、今まで日常清掃をしなかった場所も清掃する為、理事長が気に入ってくださった。土曜の勤務が続いたのは理事長の要望だらう。一階の機械式車庫は、組合ではなく元地権者の所有だった。元地権者は、居住用の部屋と一回の店舗を一つづつ持つ。店舗の代はりに機械式車庫の経営を選んだ地権者も二人ゐた。
ところが、そのうちの一人が破産し、競売に掛けられさうになった。外部の人間が所有すると面倒なことになるし、今まで通り管理費を組合に払ふとは限らない。競売前に組合で購入するため、尽力されてゐた。
正式の管理人が決まったあと、小生の最終日は新管理人の勤務日では無かったが出勤されて最初から最後まで、引き継ぎをした。そんなことがあり、帰りに寄ると新管理人は勤務中だった。理事長も続いてゐるさうだ。と云ふことは、理事長も元地権者なのかも知れない。話し方から、中学か高校の元教頭か元校長かと思ってゐた。
本日勤務したマンションの理事長は、今年六月からなので或いは普通の区分所有者なのかも知れない。
川口は サッポロビール工場と キューポラの街 郊外は植木の安行 そのすべて今は無くなり住宅の街
反歌
住宅の街とは何の特長も無く駐車場家列続く
六月二十七日(火)
本日は都内に勤務だ。帰りに、川口駅東口の旧そごうの裏に出来たビルに寄った。昨日帰りに、ビルが完成し営業を始めたことを知ったからだった。わざわざ川口で下車したのは、それだけ期待してのことだったが、館内は期待外れだった。一階はスーパーと、道路側に面した店舗群だからよいとして、二階以上は相乗効果が乏しい印象を受けた。店舗や施設が、単独でビルに入った。それだけだ。
昨日は外側を歩いたため期待が膨らみ、本日は二階、三階を見て期待が萎んだ。
六月二十八日(水)
本日は一昨日と同じ場所の最終日だ。往路は一昨日より一本西側を歩いた。自動精米所の看板がある。母屋は古風で立派だ。裏は鋳物工場らしきものが続く。創業はしてゐないやうだ。
本日は終った後に、アリオへ寄った。かつてのビール工場の跡だ。当時の名残りは、工場内に合った神社のみだ(「奉納 川口工場操業三十周年」の石碑、「昭和三十年 日本麦酒株式會社川口工場従業員一同」の石碑、「奉納 川口工場操業三十周年」の石碑、神社(石碑は鳥居の右手前))。
アリオは二回来たことがある。一回目は工場跡地を見に来た。二回目はタイフェスティバルを見に来た。モールそのものを見に来たのは初めてだ。来てみて、自動車来場者をターゲットとしたことと、デパートは時代遅れだと感じた。しかし閉店したそごう後方のビルは、中途半端だ。
跡地には 日本ビールの神社あり 住宅棟が多く占め 広場とアリオが残り占め 入り口付近市のギャラリーが
反歌
アリオには奥にシネマのコンプあり映画館にて各地栄える
帰りに、入り口付近にある市民ギャラリーへ寄った。第十八回川口市美術家協会選抜展を開催中だった。「日本画、洋画、彫刻、工芸、書、写真」(カタログの順番)とあるうちの、日本画に興味を持った。まづ印象に残ったのが「涼風」だ。美しいと思ったのは書の各作品だ。最後まで見終へて、日本画がない。先ほど印象に残った「涼風」が日本画なのかと戻ったが、やはり洋画だ。もう一度見直して、最後のほうにある洋画を冴えなくした一群が日本画だ。
「洋画を冴えなくした」に怒ってはいけない。それより、日本人が見て日本画だと思はないことが問題だ。岡倉天心は、進む方向を間違へたのかも知れない。洋画と競争できることではなく、日本人が見て美しく感じることが重要だ。水墨画は一つの方向だ。美しいと感じる過去の作品(これには天心の門人たちの作品も多数含まれるが)は、どこが優れてゐるかを探り、それを受け継ぐことが重要だ。
書の分野は、すべての作品が美しい。書にも、日本画復活のヒントがあると思ふ。
書を見るとすべての作が美しい 江戸時代まで日本画も同じだったが今は異なる
反歌
日本画の再興こそは日の本が独立果たす道となるかも
反歌
やまと歌その再興も日の本が独立果たす道となるかも(終)
追記六月三十日(金)
日本画の問題点は、日本画だと気付かないことだから、(1)書を絵に入れる方法がある。(2)天心の考案した朦朧体は批判されたが、今でもその傾向があるなら、輪郭をはっきりさせるべきだ。(3)日本画の特長は、題材が日本独自のときに生きる。まづ日本を題材に活動し、画家の名が広まったら独自の題材に進出するとよいのではないか。
「え、あの有名な画伯は川口市在住でしたか」と云はれるやうになってほしい。
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