二千二十三(うた)1.東京の郊外化が進む県南、2.東京の北端で二つのスーパーが閉店
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
六月六日(火)
或る銀行の手続きに、どこの支店に予約するかを探した。かつては南浦和にもあったが、今は無くなった。川口蕨が近い。しかし予約は来週になる。と云ふことで赤羽の予約が取れて、本日帰りに立ち寄った。
一昨日は、みどりの窓口に行くため、やはり赤羽まで行った。あのときは、「話せる指定関券売機」なら近くにあるのだが、久しぶりにみどりの窓口を使はうとしたからだったが、今回は行く必要があった。埼玉の県南地域が、昭和四十年代に逆戻りする印象を受けた。
あのときは、市内で完結する意識があった。南浦和で駄目なら浦和駅西側に行かうとした。或いは、蕨または川口へ行かうとした。今は人口が多いので、浦和まで行くのは面倒だ。蕨や川口も人口が増えたので、来週まで待たされる。
浦和までかつて二つのバス路線 今は一つで本数も少なくなりて 鉄道は駅まで行くに時間が掛かる

反歌  県南はそれぞれの地が東京と繋がるのみで横は離れる

六月七日(水)
昨日の予約は、仕事が終わって一時間ほど空き時間がある。家まで帰る時間は無い。そこで赤羽駅東口界隈を散歩した。驚いたことに、西友が閉店になり、店の西側と東側は鉄板の壁で囲んである。再開発の為に閉店し、再び開店の予定とある。
裏に回って更に驚いた。ダイエーが九月で閉店するさうだ。こちらも再開発が理由で、閉店後は手前(駅から見て)の分館で、食料のみ営業するさうだ。
家に帰りインターネットで調べると、西友の本社は閉店した店舗の上層階だった。今後は吉祥寺、大森、蕨に分散し、登記上の本店は吉祥寺ださうだ。
かつて赤羽駅西口には、赤羽台団地があった。食品は近くで購入しても、衣料や家庭用品は東口側まで来たことだらう。今は専門店が多くなった。そして赤羽台団地も、どんどんマンション化されて行った。
スーパーは時代遅れに 来る人も団地住まひが激減し 専門店と郊外の店が増加で時代が変はる

反歌  世の中は人手の掛かる仕事減り総中流が二分化劣化
劣化とは世の中を呼んだ。
インターネットを調べると、十年前の西友について書かれたページを見つけた。それによるとウォルマート時代は、駅に近い側の上層階が本部、裏側が西友赤羽店。なるほど本部棟の一階に通路があり、裏側の店に行けたことを思ひ出した。更に古くは、赤羽METSのある場所が一号館、先日閉店した店舗が二号館だった。(終)

追記六月九日(金)
浦和まで出向かなくなった理由に、道路混雑がある。かつて浦和まで、バスに乗ると道路混雑が無く着いた。今は、旧中山道経由(これも経由が違ふ二系統があった)が無くなった上に、国道経由は時間が掛かるやうになった。昭和五十年頃のバス料金値上げの時に、値上げ幅を緩和の為に、一区間の距離を短くしたこともあった。かつて浦和駅まで最低料金だったのに、その後は一つ上になり、思へばそれから五十年弱が経過した。

追記六月十一日(日)
前にも書いたが、さいたま市役所を新都心駅の近くに移転すると、市が衰退する。駅に近すぎる。国道十七号にLRTかモノレールか新システムを建設し、市内で完結すべきだ。

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