二千三十二(うた)(モリカケ桜河柳藪黒敗トリー放債カルト、二百五十九)カルト問題を前面に
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
六月二十七日(火)
安倍追及は、カルト問題を前面に出すべきだ。AERAdotに載った
安倍氏襲撃で露呈した“安倍支持者”の「底の浅さ」 なぜか「反安倍」と襲撃を結びつける陰謀論

を読んで、さう思った。前文は
2022年7月8日(中略)銃弾にたおれて、1年近くが経った。長く続いた安倍政権のもとでは、「安倍支持派」と「反安倍派」の対立が進んだが、二極化の根本である安倍氏が亡くなってからも、その対立はいまだ深まっている。朝日新書『「単純化」という病 安倍政治が日本に残したもの』では、問題の本質を見ず、空回りを続ける日本の病を“物言う弁護士”郷原信郎氏が指摘。安倍氏の思想をめぐる対立はなぜ無くならないのか。

同書から抜粋し、紹介するさうだ。

六月二十八日(水)
8年近くにわたった第二次安倍政権は、「安倍一強体制」とも言われ、自民党内でも、政府内部でも、安倍首相とその側近の政治家や官邸官僚への権力の集中には逆らえず、意向を忖度(そんたく)せざるを得ないという状況になった。(中略)権力の集中による歪(ゆが)みが生じ、安倍支持者と安倍批判者との対立の「二極化」は激しくなっていった。

ここまで同感だ。
安倍元首相が銃撃により殺害されるという衝撃的な事件で、「二極化」の根本にあった安倍氏という政治家の存在がなくなったが、それによって「二極化」が解消されるどころか、さらに増幅されているように思えた。

これも同感だ。長期では、モリカケ柳河桜藪黒トリー敗カルト債放が解決されてゐないためだ。短期では、村上さんが停権になったやうに、権力集中忖度強制への反省が見られないからだ。小生も銃撃後は呼び捨てをやめて「安倍さん」と呼ぶやうにしたのに、村上さんへの停権で、再び呼び捨てに戻った。

六月二十九日(木)
安倍元首相殺害事件は、(中略)政治的目的であったとする根拠はなく、むしろ、現行犯逮捕された山上徹也容疑者は、「政治信条とは関係なく、家族を破産させた特定の宗教団体と安倍元首相とが関係があると思って殺害しようと考えた」と供述しているとされていた。ところが、銃撃事件の発生直後から、与野党の政治家、マスコミなど、ほとんどが、事件を「政治目的のテロ」「言論の封殺」などととらえていた。

これは変なことだ。
安倍支持者側は、「安倍晋三氏に対しては、特定のマスコミや『有識者』といわれる人々が、テロ教唆と言われても仕方ないような言動、報道を繰り返し、暗殺されても仕方ないという空気をつくりだしたことが事件を引き起こしたのであって、犯人が左派でも右派でも、個人的な恨みをもった人でも、精神に障害を抱えた人でもそれが許されると思わせた人たちが責められるべきである」などと、(中略)「安倍批判」が安倍氏殺害事件の原因であるかのように決めつけていた(《安倍狙撃事件の犯人は『反アベ無罪』を煽った空気だ》八幡和郎氏)。フジテレビ上席解説委員の平井文夫氏も、それに同調する記事を書くなど、「反安倍」批判を行っていた(《安倍晋三さんを死なせたのは誰だ》FNNプライムオンライン)。


六月三十日(金)
この事件は「一つの刑事事件」であるのに、(中略)何の根拠もなく、安倍氏への批判と殺害行為を結び付ける安倍支持派の論調は、事実を無視した「言いがかり」だった。しかし、安倍氏を「犯罪者」扱いして殺害を正当化する反安倍派が正しいわけでもなかった。(以下略)
今回の安倍元首相殺害事件後の「安倍支持」「反安倍」のそれぞれの議論の極端化も、加計学園問題で見られたような第二次安倍政権における「安倍一強体制」の下での「二極化」と同様の構図に思えた。

反安倍派が形成されたのは、それだけ安倍が横暴だった。安倍支持派が形成されたのは、立民などの偽善性に疑問を持つ人たちを、野党が吸収できなかったからだ。安倍は保守のふりをした拝米だから、安倍も偽善なのだが。

七月一日(土)
記事は最後に
第二次安倍政権の時代に、森友学園、加計学園、桜を見る会などでの安倍首相への批判を、「モリ・カケ・サクラ」などと一括りにして、取るに足らない問題であるかのように声高に言い立てていたのが、安倍支持者であった。その言説の底の浅さが、安倍氏の殺害事件発生によって露呈していったのは皮肉な現象だった。

安倍支持者によって取るに足らない問題だと声高に言ひ立てられないためには、「モリ・カケ・サクラ」に「カルト」を加へる必要がある。記事を読み、さう感じた。当ホームページのリンクも「モリカケ桜河柳藪黒敗トリー放債カルト」と、モリカケ桜を連続させ、カルトを最後にして、目立つやうにした。
風流にモリカケ桜河柳 だが後半は一転し 藪黒そして敗トリー放債のあと決まりはカルト

反歌  モリカケと桜も取るに足らないとならば支持者は視野を拡げよ
反歌  亡くなりた人の過ち正す後功績語る故人喜ぶ

七月二日(日)
この記事が終了の後に、同じAERAdotの紹介がある。そこの三番目に
加計学園問題 「首相」「官邸」発言は経産省のお家芸

がある。三番目だが2018/05/16とある。記事は冒頭から
経済産業省OBが賛辞を贈る。
「加計孝太郎氏(加計学園理事長)を総理の『腹心の友』だと認識しながら、加計学園関係者と面会したことを総理秘書官が総理に報告しない。そんな無理のある説明も、感情の起伏を見せず、淡々と答弁する姿は、さすがは『ヒラメ官僚』だ」

ヒラメとは、上しか見ない連中のことだ。給料も、税金からではなく、上からもらふべきだ。
加計学園の獣医学部新設計画をめぐり、柳瀬唯夫・元首相秘書官は5月10日、参考人として衆参両院の予算委員会に出席。これまで「記憶はない」と答えていた加計学園関係者との面会が、首相官邸で3回あった事実などを認めた。
「本件は、首相案件」
4月に朝日新聞が報じた、愛媛県側の面会記録文書にある柳瀬氏の言葉に注目が集まったが、「国家戦略特区制度は、安倍(晋三)政権の看板政策と説明した」「伝えたかった趣旨とは違う形で伝わっている」と述べた。
内閣府の藤原豊・地方創生推進室次長(当時)が「官邸の最高レベルが言っている」と発言したとされる文部科学省の文書も明らかになっている。文書が正しいとすると、水戸黄門の決めぜりふ「この紋所が目に入らぬか」ではないが、なぜこうも「首相」や「官邸」を振りかざす物言いが目立つのか。

かう云ふ経緯を無視して、固糞(こくそ)だか一年経ったから古糞(こくそぅ)で、美辞麗句を並べた三文芝居の野田は許すな。なぜ一年経つと「こくそぅ」になるのかと質問が来さうだ。発酵したのかな。

七月三日(月)
記事は次のページに続き
柳瀬氏、そして藤原氏には共通点がある。両者ともに経産省からの出向者だったことだ。
元文科官僚で京都造形芸術大学教授の寺脇研氏は約30年前、通商産業省と共管の法案を作成したときのことを思い出したという。経産省は2001年の中央省庁再編まで通産省だった。
「関係各省庁と徹底的に議論する必要があったが、通産省の担当者は『総理の意向で進めている法案なんだと言えば相手は黙りますよ』と。当時は文部大臣経験者で自民党文教族の海部俊樹首相だったから、それで通ると思ったのだろう。これが通産省のやり方かと驚いた」
こうして仕事を進める様は、経産省のお家芸だという。

2ページ目は量が少なかった。しかし安倍がお友だち依怙贔屓の為、農林水産省や文部科学省の意向を押し切った様子が目に浮かぶ。カケ学園による獣医学部は、地方特区とは無関係だ。今から改善するには、獣医師免許愛媛県内のみ有効にすべきだ。それができないなら、獣医学部を廃止すべきだ。(終)

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