二千二十(和語のうた)金塊和歌集
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
六月四日(日)
金塊和歌集を読んだ。河出書房新社から昭和四十七年に発行された「現代語訳 日本の古典11」である。
ながめつゝ思ふもかなし帰る雁行くらむ方の夕ぐれのそら

解説に
金塊集には題詠の歌が多い。実朝が二十二歳までの歌であるから、作歌練習のために題を出して作った歌が多いのである。

実朝の歌に欲が無いのは、そのためなのかと納得した。実朝の性格がどうだったかは無関係だ。そもそも二十二歳だ。
そういう歌には古歌をなぞっただけ(中略)も多いが、この歌など長い詞書から見て題詠歌ではなく(以下略)

なるほどと思ふ。この歌の本歌は
ながめつつ思ふも寂し久方の月の都の明け方の空(新古今・家隆)

そして
君いなば月まつとてもながめやらんあづまのかたの夕暮の空(同・西行)

だとする。西行の歌は「夕ぐれのそら」だけだから、本歌ではない。
ふく風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり

本歌は
おのづから涼しくもあるか夏衣ひもゆふぐれの雨の名残に(新古今集)

そして
庭草にむらさめふりてひくらしのなくこゑきけは秋はきにけり(拾遺集)

これは正しいだらう。
実朝は源にして末にして すべての人が悲しみの塊り人と思へるも もののふ頭若くして 都倣ひた人に非ずや

反歌  実朝は母や叔父とは争はず兄と異なる道を歩むも

六月七日(水)
多くの人が挙げる歌は
世の中は常にもがもな渚こぐあまの小舟の綱手かなしも

実朝の最後を皆が知るから人生の無常を詠ふとするが、綱手とは陸に引かれるものだ。亡くなった兄や幕府の権力争ひで滅びた御家人たちの無常を思ふとともに、母や叔父の綱手を詠ったものか。実朝は前回も指摘したやうに、短命に終るとは思はず、公家のやうに生きるつもりだったと思ふ。
ものいはぬ四方の獣すらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ

源氏に限らず一族で殺し合ふことを、話に聞いたり実際に見たりしてきた実朝の、心の中にはかう云ふ感情があったのだらう。まだ二十二歳である。「あはれなるかなや」は、「あ」が句の先頭だから字余りとも取れる。それが醜くならないのは、「かな」が軽く一音分のためか。
たまくしげ箱根のうみはけけれあれや二国かけてなかにたゆたふ

解説に
「けけれあれや」は、例によって実朝の珍しい言葉への興味を示しているが、「けけれ」は「心」の東国方言で(以下略)

なるほど、と思ふ。次の歌は、多くの人が取上げる。
箱根路をわがこえくれば伊豆の海や沖の小島に波のよるみゆ

作歌練習のためと見れば、別の評価ができる。それでも、箱根路と、伊豆の海と、沖の小島の対比が美しい。
箱根路は土にて伊豆の海は青沖の小島による波は白
(終)

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