二百、今回の代表選で明らかになつた偏向マスコミの背後
平成二十三年
九月五日(月)「二転したマスコミ」
今回の代表選は、野田氏が出馬を表明するや野田氏を誉める記事が続出した。ところが前原氏が立候補すると、大手マスコミは一斉に手のひらを返して前原報道一色になつた。
野田氏と前原氏の違ひは、野田氏が常識的な親米路線なのに対して、前原氏は異常な拝米路線だ。これで大手マスコミの背後にアメリカがゐることが明らかになつた。
九月六日(火)「アメリカCIAの工作」
大手マスコミが拝米なのは、一つにはアメリカCIAがアメリカ大使館員の肩書きで接触するためであらう。本来の大使館の業務は、外交と領事だ。あまり大きくない国の大使館はそれ以外に輸出支援を行ふ。
十九年前、私は今の会社に移る前に一年間だけ機械やソフトウエアを輸入する会社に勤務した。その会社の社長はオーストラリア勤務が長く、営業部長は造船会社の海外支店長を長く勤めた。その二人の仲が悪くとばつちりを受けて私は今の会社に転属させられたのだが、それは後の話である。或るときニユージーランドの大使館員が二人来てニユージーランドのソフトウエア製品を紹介した。私が担当となつてその製品を調べた。技術は優れてゐるが日本での販売は無理といふ結論になつた。
このようにあまり大きくない国は大使館員の肩書きで輸出支援を行ふ。一方で大きな国は大使館員の肩書きでマスコミ工作を行ふ。
九月七日(水)「英語による洗脳工作に反対を」
ソフトウエア製品を売り込むのに、大使館員が英語しか話さないといふのは今思えばずいぶん横柄だ。あのときは船橋洋一の英語公用語論の前だつたから、英語に抵抗はなかつた。
その後も昨年まではNHKラジオのビジネス英語を聴いてゐた。今年になつて聴かなくなつたのは再放送が日曜から土曜に変更されたためである。この番組は二十年前には一日三十分を六日分日曜に三時間再放送した。その後十年ほど前に一日二十分で二時間になり、五年ほど前に週三日で一時間になり、つひに土曜になつてしまつた。
真面目に英語を勉強することには賛成である。しかし低級な英語で国民を洗脳しようとする工作には反対である。
特に英語公用語論の現れた前後に状況の変はつたことを国民は気が付かなくてはいけない。CIAの工作があつたのであらう。アメリカ政府が直接日本政府に要求したのかも知れない。
九月九日(金)「野田氏と前原氏」
野田氏の欠点は増税論だつたが代表選では引つ込めた。そうなるとパフオーマンスの前原氏よりは堅実な野田氏のほうがよい。しかしマスコミはそうは考へなかつた。
海江田氏が有利と判断したらしく、議員だけで決めるのは不公平だといふ一部の支部の声を紹介したり、世論調査では前原氏が四十%だとかの記事をさかんに流した。
民主党の議員は投票前の演説を聴いて決める人が多いさうだ。マスコミに影響されないのは賢明だつた。
十月一日(土)「官僚と大手マスコミの癒着」
先週から多くの週刊誌に、野田首相を操るのは財務省の勝事務次官だといふ記事が載つた。大手マスコミと繋がるといふ記事もあつた。国会で野党も直勝内閣ではないかと質問をした。
これまで過去に官僚が政治家を動かし、大手マスコミがタイミングよく連動したことが幾つもあつた。タイミングがあまりに良すぎるので裏で工作した人がゐるのだらう。
ここ十年で特に目立つたのは、女系天皇、英語第二公用語、小沢叩き、菅直人の消費税騒ぎ、前原担ぎである。世論調査といふ名の世論工作を行ひ、自分たちに都合のいいように国民を洗脳する。大手マスコミは民主主義に寄生する有害人工生物である。
十月四日(火)「小沢氏の既成勢力批判は正しい」
石川議員など三名の有罪判決について、小沢氏がインターネツト番組で「証拠もないのに裁判官が推測に基づいて有罪を決めるのは、民主主義国家では考えられない」「僕は旧来の仕組みを変えて国民の生活を安定させなくてはいけないと思っている。これは旧来の体制を変えることで、既得権を持っている人には『あいつだけは許せない』という意識が働く」と発言した。これは正しい。
裁判官も普通の人と同じように新聞やテレビを見るからこれらの影響を受ける。そして三審制だから下級裁判所は無意識のうちに手を抜くといふか、マスコミの影響を受ける。これまで小沢氏のような立場の人は発言の機会がなかつた。講演してもマスコミは無視するか批判的に書くし、記者会見を開けば意地悪な質問が続出する。
インターネツト番組は、マスコミの閉塞に風穴をあけたと言へる。と同時に戦後の日本のマスコミの偏向がどれだけ悪影響を与へたかも考へるべきだ。
十月六日(木)「日本の大手マスコミはなぜ根性が卑しいか」
戦後六十六年。最初の五年くらいは戦前戦中にすべての新聞社が軍部の御用機関に成り下がつたことをGHQと国民に対してどう誤魔化すかに必死だつたし、その後は米ソ対立の中で米側に付くことに必死だつた。
米ソ対立の時代はそれでもよかつた。しかしソ連崩壊ののちも同じ姿勢を取り続けて拝米新自由主義に陥つた。そんなことさへ気付かないのは再販制度の弊害だ。大手新聞社と、戦争で統合された地方新聞社は分割したほうがよい。(完)
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