二百一、渡良瀬遊水地訪問記


平成二十三年
九月九日(金)「夏の旅行」
ここ十年ほど毎年夏に青春十八切符で主に日本海側を一泊三千八百円程度のところに三泊くらい泊まる経済的な旅行を続けてきた。北は山形県から南は鳥取県に至つた。ところが一昨年からソフトウエア業界は不況でボーナスがほとんど出ない。しかも子供の進学が重なるため、今夏は渡良瀬遊水地に日帰りといふ実に安価な旅行になつた。
余談だが鳩山政権が実施した高校の授業無料化は良い政策である。我が家はそのお蔭でボーナスなしでも何とかやつてこれた。そのあとに管直人といふ悪質な政治屋が消費税増税を叫んだが退陣に至つた。税金には再配分といふ重要な機能がある。カネの余るところから徴税すべきだ。

九月十日(土) 「猛暑とレンタサイクル」
レンタサイクルで四時間走つた。この日は暑かつた。家に帰つたあと夜のテレビのニュースで群馬県館林で全国最高の気温だとかを放送してゐた。館林は遊水地から五キロメートルだ。しかし自転車で走ると風が当るからそれほど暑くはない。
北川辺の町営施設で自転車を借りた。藤岡大橋で利根川を超え石川橋で第二遊水地に向ふはずが道を間違へ第三遊水地巴波橋を渡つた。右岸の景色が遊水地と普通の土地で全く異なることが判り有益だつた。
ほとんどの観光客は国土交通省の作つた(といふよりは多重下請けの建設会社が作りその発注だけを受け持ち国土交通省が天下りなどいい思ひをした)第一遊水地の貯水池で満足する。
しかしあの貯水池は自然破壊だ。遊水地となつて長い葦原はもはや大自然だ。そして観光客が本当に見るべきは蘆原とともに旧谷中村の神社跡地や墓地の跡地である。

九月十四日(水) 「空腹と長距離徒歩」
遊水地の中に売店があるだらう。そこで昼食の弁当かパンを買はう。そう計画したが売店はなかつた。しかしそこは福島第一原発と同じでちやんと予備電源を考へてある。売店がないときは町営レンタサイクルで自転車を返却し、すぐ隣の「道の駅」の食堂または屋外簡易食堂で食べよう。
レンタサイクルは四時間なので返却は午後三時になつた。全国一の猛暑だし昼食を食べてゐないのだから普通の人は二時間くらいで切り上げる。しかし私は三時間四十分がんばつて乗り続けた。本当は更に板倉町のわたらせ自然館まで往復し三時間五十五分で返却の予定だつた。しかし空腹と暑さでさすがに行く元気がなかつた。
自転車を返した後に「道の駅」に行つて驚いた。食堂とラーメン、カレーライス、そばなどの各売り場、屋外簡易食堂はすべて午後二時で閉店である。何だか読売新聞と朝日新聞と毎日新聞の購読料が同じなのと似てゐる。談合の疑ひが濃厚である。その不当利得で船橋洋一が出現したのだがそれはさておき、空腹のまま「道の駅」を後にして東武線柳生駅に向つた。悲惨な事件が起きたのはその直後である。

九月十五日(木) 「新古河駅」
道を間違へないやうに線路と直角に歩き、到達の後は線路に沿つて歩いた。これなら絶対に間違へる筈がない。それなのに駅がない。陸橋が見へて来た。あれを超へると駅だらうと陸橋をくぐつてもない。結局は新古河駅まで歩いた。全国最高(確か三八度)の気温なのに空腹で自転車に四時間乗つた後にすべきことではない。危うく熱中症になるところだつた。
新古河駅の改札にコンビニがないか尋ねたらかなり歩くといふ。ホームの自動販売機の飲み物で我慢しようと思つたらホームに何も無い。電車が来て終点の南栗橋駅の自販でペットボトルを買つたときは生き返る心地であつた。

九月十六日(金) 「渡良瀬遊水地と熊野の共通点」
足尾鉱毒事件は明治時代に山林の伐採により洪水が起こるようになつて発生した。紀伊半島の熊野本宮は明治時代に流出した。このときも山林の伐採が原因であつた。因みに今の熊野本宮はかつての河原ではなく山頂に新たに作られたものである。
明治時代には日本おおかみが絶滅した。朱鷺も江戸時代は日本中で繁殖してゐたが明治以降に激減し平成五年に最後の朱鷺「キン」が死んだ。

九月十九日(月) 「明治維新で失つたものは日本建国以来最悪」
明治維新で良くなつたことと悪くなつたことがある。ところが日本人はすべて良くなつたと勘違ひした。足尾銅山、熊野本宮、日本おおかみ、朱鷺のほかに、天皇の西洋型国王化、神仏分離、小作農と労働者の貧困化などがある。天皇に軍服を着せることは天皇様を征夷大将軍に格下げすることである。
終戦後も同じである。多くの日本人はマツカーサのおかげで良くなつたと勘違ひしてゐる。無論明治維新後の財閥、歴史の浅い政党、軍部に支配された日本がよい訳は絶対にない。しかし文化の流れと大自然を見れば江戸時代、明治維新後、戦後と世の中は悪くなつた。化石燃料、そして近年は原子力を考慮する必要がある。これらを除けば今の日本は江戸時代以上に悪い。

九月二十日(火) 「歴史を学ぶとは」
江戸時代がよい訳はない。あれは家康が作つた初期の幕府が堕落したものである。家康が手本としたのは鎌倉幕府だが、家康の見た鎌倉幕府は既に堕落したものだつた。
初期の鎌倉幕府は朝廷の政治権や徴税権や、貴族や寺院仏閣の荘園は認め、武力と警察権を幕府が担当した。しかし後に武士の荘園横領や年貢横領が相次ぎ、承久の乱を迎へた。
渡良瀬遊水地に行つたら、国土交通省の作つた施設だけではなく村や神社や墓地の跡地にも足を伸ばすべきだ。政治を論じるときは江戸幕府まで遡るべきだ。江戸幕府を論じるときは鎌倉時代まで遡るべきだ。歴史を長く遡ると真つ直ぐに走れる。蛇行が少なくなる。(完)


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