千九百六十二(うた) 退職者続出の職場
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
三月六日(月)
代行のマンション管理人は、毎月たくさん採用するのに、人数が増えない。数回勤務しただけで撤退する人が、続出するさうだ。小生は、二年続くから我慢強いのかな。
自分に合はない現場は引き受けない。これが重要だ。繁華街の近くや、住民の意識が低いところは受けない。
二日以上を受けてしまって、途中で辞退したことが二回あった。その場合も、代はりの要員が見つからない日は勤務した。互ひの協力が必要だ。
それとは別に、先方から断りの連絡があったことが一回あった。ゴミ袋を開けないことは会社の方針だし、衛生上も当時は新型コロナの死亡率が高く大問題だったので、そのことを業務日誌に書いたら、断られた。
何人かで日替はり勤務するのだが、或る人が可燃ごみの袋に缶が混ざるので開けて取り出したことを業務日誌に書いた。小生がその人の衛生を心配して、開けないやう書いたところ、受注元から缶を分けないなら発注しないと断られた。この現場は、繁華街の近くで近道をすると怪しいホテル街を通る。この現場以外で、可燃ごみに缶を入れるところは、今までに一箇所もない。

三月八日(水)
小生が六十五歳までの再雇用が終了するまで勤務した会社も、退職者が多かった。その理由を書くと、膨大になる。
(1)会社が倒産寸前になったときがあり、退職者が続出したことに経営者が味をしめて、業績回復後も退職勧奨を繰り返すやうになった。
(2)外資系コンピュータ会社DEC(二度の吸収で消滅)との取引が多く、DECは1995年辺りから業績が悪くリストラを繰り返し、それを真似した。
(3)それまでの取締役を部長に格下げして、近所の画家などを取締役にした。このときはまだしも、その後にお友だちやらお親戚(かどうかは不明だがM山で、別のお親戚と思はれる人から株主総会で不適格だと指摘された)やら怪しげな人間を取締役にして、ここから極めて悪くなった。
(4)店頭公開することに何年も連続で失敗した。このときから目標がなくなった。
(5)一時は後継者に考へた営業職が心臓病で倒れ、手術して復帰したが退職し別の道(整体師)へ行った。
(6)倒産寸前の時も株の50.1%を握って手放さず、その小心性が老化で経営能力を喪失した。
上層部に長く居座る人たちを除くと、平均勤続年数は五年から七年だらう。そんなところに、小生は再雇用を含めて二十八年間勤務した。
穴のあくバケツに水を注いでも漏れて増えない 水だから許されるので 人ならば使ひ捨てるとその人の人生狂ふやってはならぬ

(反歌) 退職が多いと転職難しく退職勧奨やってはならぬ
(反歌) 再雇用終了びとのパートなら短期退職やむを得ぬあり
今回の特集は、「良寛の出家、漢詩、その他の人たちを含む和歌論」を連続させないため急遽作成したが、無事終了してよかった。(終)

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