千九百四十一(うた) 地元の話題(テニスコート、雪、百貨店商品券、百円店、東京ガスその二、に志かわ、豚骨ラーメン)
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
二月十日(金)
生協の近くにテニスコートがある。あったと云ったほうがいい。今は営業をしてゐないらしい。いろいろ調べてやっと辿り着いた。
〇〇〇テニスクラブ
【営業日】
平日10:00〜20:00 土日・祝日9:00〜20:00
【定休日】
水曜
オムニコート(砂入り人工芝) 屋外2面 ハードコート 屋外4面 ナイター 駐車場 面貸しOK スクール

世の中が変はったためか、営業を停止したらしい。ホームページには続きがあり
テニススクール 直接お問い合わせ下さい。
レンタルテニスコート
1時間1面
土日祭日
(9:00〜11:00)(6:00〜20:00)4000円 (11:00〜16:00)5000円
平日 10:00〜日没
ハードコート:2000円 オムニコート:2500円
平日 日没〜20:00
4000円

貴重な資料なので、掲載させていただいた。
横浜で最初に住んだマンションは 近くにテニスコートあり 隣の部屋の新婚が常連としてしばしば通ふ

(反歌) 我々も新婚にして商店街テニスコートの少し先にあり

二月十一日(土)
昨日の雪で、昼には南浦和駅西口から文化センターまでの台地の歩道に雪が積もった。上り坂の手前と、下り坂の先は積もらないのに、坂と台地部分だけ積もる。理由は、地下水が乾いたためだと、まづ思った。坂と台地部分はマンションがあるので、風の関係で雪が溜まったか。二番目に思った。
本日思ったことは、坂と台地は解けた水が流れ去るためではないか。午後にはみぞれになった。
横浜に住む時菊名降りた後 坂を上がると真夏には暑く地下水無いためと それと原理が同じ考へ

(反歌) 菊名では坂上る時体温が上がると後に推理を変へる

二月十二日(日)
一昨日のテニスコート以外に、かつて二ヶ所にテニスコートがあった。一つは六階建てマンションになった。すぐ裏に、別の三階建てマンションもある。小生が横浜に住んだ時期なので経緯は知らない。
噂では、三階マンションが建てられたので、テニスコート及び隣の自宅を売却して、六階マンションが建てられたさうだ。
三階マンションは、今では周辺の家屋も三階建てが多いので、背が高い訳ではない。時代の変化がさうしたのか、とまづは思った。
調べてみると、事情は逆だ。テニスコートの位置に六階マンションが建てられた。その五年後に、三階マンションが建った。三階マンションは、本日判ったことだが、ワンルームだ。南向きに窓があり、北側に廊下がある。その更に北に六階マンションが隣接しても、気にはならないのだらう。家族の住むマンションだと、かうはならない。

もう一つのテニスコートは幼稚園の付属だったが、今は運動場になった。幼稚園にテニスコートは不似合ひかも知れない、特に監督官庁から見ると。

二月十六日(木)
五年ほど前に、妻が贈答用にデパートの商品券を一万円買った。しかし中止になり、八千円は丸広百貨店で使ひ、残った二千円も使はうとしたところ、直営店ではなくなったので使用できなかったさうだ。その後、一階の食品売り場も直営ではなくなり、使ふ機会が皆無になった。そごう西武で発行したものだから、池袋で使はうかと思ってゐたら、そごう西武が買収されて、ますます使用の機会が無くなった。
そんなとき、一万円まで額面で買ひ取ると云ふちらしが入った。丸広の三階である。本日無事換金した。丸広で使はうとした商品券を、丸広に入居する買ひ取り商店で使った。
因みに、飯田百貨店がコモディイイダと改名したのは、意味があった。全国の百貨店共通商品券が使用できないのだから。
百貨店 貸店舗化や撤退が続く業種となったのは プラザ合意の円高がその始まりであるものの 今となっては贅沢に慣れた世の中 円安は物価高にて混乱をする

(反歌) 円高のときも混乱したものの強制のため廃業相次ぐ

二月二十三日(木)
サトームセン跡の百円店で、駐輪場の高低交互のタイヤ止めが撤去された。これはよいことだ。タイヤ止めがあると、自転車が傾いて心配だった。 鶴見に住んでゐた時代は、サトームセンが鶴見と実家の近くの両方にあって便利だった。
鶴見は、職場からも仕事で使ふものを買ひに行ったが、二〇〇七年にヤマダ電機に転換され、その後売り場が大幅に縮小された。実家の近くは二〇〇五年に閉店され、後に百円店になった。百円店も、サトームセンと同様に便利で、よく利用する。

二月二十六日(日)
数日前に、母を連れて毎月の通院へ行った。大里交差点の東京ガス一階に、銀座に志かわと云ふ食パン店が二十五日開店とある。入口は高級日本料理店の雰囲気だ。インターネットで調べると、2018年に創業、2022年に全国百二十店舗。実際は、三重銀行から外食産業社長などを経て、三重の実家の割烹料亭に因んだ名称でパン事業を県内で展開、2018年銀座に進出した。
なぜ東京ガスの建物に、と調べると東京ガスライフバル浦和の武蔵浦和店は東京ガスすまいるサポート株式会社が運営。従業員三百人、東京ガスライフバルを四店運営。2021年10月に、本社が東京ガスライフバル浦和の武蔵浦和店に移転とある。東京ガスライフバル浦和の案内に載るので、東京ガスライフバル浦和の浦和店から移転したのだらう。
都内との比較で東京ガスライフバル北を見ると、赤羽店が東京ガスライフバル北株式会社、エネフィット(株)武田商会が田端にある。(終)

三月五日(日)
赤羽駅の、京浜東北線から乗り換へ(及び南口へ)の階段先にあった豚骨ラーメンが閉店した。記憶では一週間ほど前だが、インターネットで調べると1月31日だ。記憶は当てにならない。
閉店跡の連絡先は、JR東日本の100%子会社だ。店名もこの子会社の商標だ。だが看板に「by一風堂」とあった。この会社の商標にはないので、委託だった。隣の店も空で、インターネットで調べると定食・そば・居酒屋だ。
この位置は、赤羽駅の南端なので、乗り換へ客は多いが、乗降する人は少ない。定食・そば・居酒屋は記憶に無いが、豚骨ラーメンはそれなりに客がゐた。時間帯によっては駄目だったのかなあ、と思ふ。
赤羽は、見沼代用水西縁の区域ではないので地元の話題では無いが、乗り換へは埼京線も東北線もこの階段を使ふことが多いので、気になる話題だ。一つだけ地元と接点がある。かつての北足立郡横曽根村大字浮間が東京府北豊島群岩淵町に編入された。荒川の流れが変はったためだ。
駅なかのラーメン店が閉店し 調べてみるとJR東日本の子会社や一風堂も現れて 北足立郡横曽根も 今回調べた範囲の中に

(反歌) 南口かつて橋上ほかになし小出入り口が今は大きく

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