千八百九十七(普通の歌、和語のうた) 行動日記(弁当は何年ぶりか、鮭、濁り酒、常盤台教会バス折返場、荒川遊園、氷川下)
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
十二月十二日(月)
本日は仕事に弁当を持って行った。七年ぶりくらいだ。尤もご飯を容器に入れ、魚ソーセージ二本とポテトサラダの残りだ。弁当と云ふより、単品を三つだ。これだと緑黄色野菜が不足すると考へる人もゐるでせう。その点は、飲み物として缶入りトマトジュースを買った。冬だから温かいコーヒーをほしいのだが。
久しぶりに弁当を持って行ったのは、家でご飯が余るからだ。日曜の昼は、下の子が土産に買ってきてくれた福井そばを食べ、夜はほうとうを食べた。我が家の炊飯器は、二十四時間を過ぎると時間が点滅する。月曜の朝は、あと一時間で点滅するが、小生は午後も仕事がある。さう云ふ事情なので、ご飯を持って行った。
弁当を持って仕事は七年ぶりか 単品を三つ合はせて弁当となる

魚ソーセージは、一本にカルシウムを600mg含む。注意書きに一日一本までとある。念のためインターネットで調べると、最大摂取量は2500mg。まだ余裕がある。
(12.17追記)二十四時間を少し過ぎるくらいは大丈夫では、と考へる人もゐることでせう。昼の弁当を持って行ったので夕食で空になった。つまり三十六時間である。もし弁当にしないと翌朝まであるから四十八時間になった。

十二月十二日(月)その二
母は日向ぼっこの時間が無い。デイサービスから戻る時間に、冬至前後三週間は日が当たらない。第一、外は寒い。そこで魚の中でもビタミンDの多い鮭を、先週に続いて今週も買ってきた。しかし母はあまり鮭が好きではないやうだ。
ほかの魚だと喜んで食べるのに、鮭は最後に食べる。本日は一人、一尾半づつだったが半分残すので冷蔵庫で明日に回した。他の魚より小さいので一尾半にしたのだが。ビタミンD剤を冬至前後だけ飲ませるやうにしたい。
茜さす日(ひ)浴びる時が霜月は少なく薬明日には買はう

太陽太陰暦だと、本日は霜月二十日だ。

十二月十二日(月)その三
鮭を買った日に、酒売り場を何気なく見た。鮭と酒は、単に並んだだけだ。とは云へ掛詞に挑戦しよう。
買ふ魚さけをついでに見て気付く紙詰めよりも瓶(かめ)入り高し

これまで2リットルまたは3リットルの紙パックのそれぞれの値段で、小生は中間を買ふので中流だと思ってきた。しかし瓶を含めると下流に転落する。ここで目に入ったのが、720ml瓶詰めの濁り酒が648円(+税)だ。特売と書いてあるがそれを見て決めたのではなく、かつて(昭和五十年代)カップ酒(180ml)の一級は200円だったから、それより安い。と云ふことで、上流に仲間入りした。

十二月十四日(水)
練馬区東北部に行く用事があった。上板橋駅が近いが、国際興業の赤53(赤羽駅西口常盤台駅)を利用した。往路は常盤台三丁目で降りて徒歩24分、帰りは前野町まで28分歩いてバスに乗った。上板橋駅なら徒歩11分なのに遠くで降りた理由は、かつて常盤台教会行きのバスがあった。なぜ駅ではなく教会行きだったのかを調べるためだった。
バスは常盤台付近で循環をする。常盤台駅行きと書いてあるので、乗車前に赤羽まで行くか確認してから乗った。駅前バス停はロータリーの駅に最も近い場所にあり、バス縦列二台分は停車できる。前のバスが発車前なので後ろで停車した。
前が発車後にバス停に進んだものの前扉を開けない。車内は、小生のほかにもう一名乗客がゐる。バス停は七名ほど並ぶのに扉を開けないのは、違ふ路線を待つのだと一旦は思った。しかし遠距離用の眼鏡に掛け替へると、赤羽駅西口(又は途中の赤羽車庫)行きしかない。数分後に、前扉を開けて乗車が始まった。車内は既に乗客がゐるので、何となく不親切だ。特に冬や夏には。
間もなく発車し、次のバス停は常盤台教会だ。折り返し場のない、普通のバス停だった。この時点で、駅前にバスを停車させたままだと道路が混むので、一つ先で発車待ちをするのだらうと思った。今はロータリーを拡げて時間調整ができるやうになった。
念のため、今昔マップで常盤台教会付近を戦後からずっと調べた。道路幅は変はらず、折り返し場も見つからなかった。ところが、かつて都営バスで東京駅常盤台教会、王子駅常盤台教会の路線情報が見つかった。といふことは、折り返し場があったに違ひない。調べると、常盤台駅を北側へ進み右側で、都営の操車所だった。
東京駅は104系統で、昭和22年に大山-池袋駅東口-東京駅北口が国際興業と相互乗り入れで開通。昭和23年までに、常盤台駅、成増駅と二回延長。昭和42年常盤台教会東京駅北口に短縮、昭和47年に東50系統となり、昭和50年に廃止された。
王子駅は64系統で、昭和29年王子大和町で開通。昭和34年常盤台教会まで延長し、昭和47年王54系統。昭和53年廃止になった。国際興業も王子常盤台教会の路線を始めたが、共同運行ではなかった。都バス廃止後も国際興業の路線は残り、平成7年に常盤台教会から上板橋駅まで延長された。
常盤台一つ先にて折り返す今でもその名知る人多し

教会は固有名詞の一部だが、世間では一般名詞なので、和語にするため使用を避けた。

十二月十六日(金)
本日は荒川遊園に行った。三年四ヶ月休園し、全面更新したたさうだ。入園料が大きく上がった。小中学生は土日祝日や長期休暇のみ百円だったが、すべての日が小学生は二百円、中学生は四百円になった。大人は二百円から八百円になった。
小生は六十五歳以上で四百円だったが、八百円を払ふ人は昔の値段を知ってゐれば不満が出るかな。小生は高齢割引きしてくれたお返しとして、観覧車四百円は一般的として、全面更新後に始まった都電車内カフェで一回目は「おおきな和だし豚まん」四百九十円(税込)、園内を見終へて出る前の二回目で「自家焙煎 都電コーヒー(ホット)」四百五十円(税込)と大判振る舞ひだった。入園する前にカレーライス(四百五十円くらい)を食べたにも関らず。
これで上流の仲間入りだな、は「十二月十二日(月)その三」の繰り返しに過ぎない。それよりカレーライス(四百五十円くらい)が効いて、下流に転落だ。値段相応とは云へ、カレーの具は肉とにんじんで破片みたいに小さかった。蕎麦屋なので蕎麦にしようと思ひながら、カレーにしてしまった。
隅田川西の岸なる遊び園高く上がると見晴らし広し


十二月十九日(月)
本日は氷川下の交差点を北上した。左に東京健生病院が見える。かつて氷川下の交差点を南下して太田胃散を過ぎた左側に、大塚セツルメント病院があった。文京医療生協と云ふ共産党系の病院で、同生協は昭和四十年代に牛込柳町の鉛公害で有名になり、まもなく東京保険生協と名を変へた。新たに東京健生病院を建てると聞いたが、ずいぶん古い建物だ。無理もない、五十年近く前の話だ。
Googleマップで驚くことを発見した。「氷川下」まで入れると選択例に「氷川下セツルメント草創の地」が出てくる。(終)

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