千八百七十六(うた) 「新潮日本古典集成 萬葉集」四の解説を再度読む
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
十一月十五日(火)
前回紹介した「新潮日本古典集成 萬葉集」四の解説は貴重なので、本を返却前に再度読むことにした。読み始めてまづ感じたことは、宴席で皆が軽々と歌を作れる理由だ。あの時代の普通語だったのだらう。口語と云はず普通語と呼んだのは、果たして文語と口語の区別があったか。当時の口語が、後の文語ではないのか。
とは云へ、俗語ではないだらう。だから東歌は、訛はあっても俗語はない。訛があるのは口語だからだ。先へ読み進むと
大伴家持の歌日誌に基づく巻十七如何には、六百二十五首の歌が収められている。その三分の一以上が、宴席の歌であることを示す題に括(くく)られている。

家持の歌日誌だから家持の歌ばかりなのだらうと思ったが、さうではなく家持が出席した宴席の歌が三分の一以上だった。
前回紹介した大伴旅人の送別会に先立つある日、小野老(おののおゆ)の小弐(大宰府次官)着任歓迎会が開かれた。ここで山上憶良が「憶良らは今は罷らむ子泣くらむ(以下略)」の有名な歌を詠む。そして酒の歌を旅人が詠み、これは小生が前に批判したことがあった。なるほど宴会なら大目に見ようと思ひ直した。
越中の次官(すけ)館で新年の宴があった。主賓大伴家持の挨拶歌のあと、庭は雪を庭石のやうに積み上げて造化を配す工夫がされてゐた。客の一人が
なでしこは秋咲くものを君が家の雪の巌に咲けりけるかも(巻十九、四二三一)

と詠み、
それを歌い継いだのが、遊行女婦、蒲生娘子(がもうのおとめ)であった。
雪の山斎(しま)巌に植ゑたるなでしこは千代に咲かぬか君がかざしに(巻十九、四二三二)
枯れることのない造化をとらえて、「君」を寿ぐ歌に転じている。

ここで遊行女婦については第五巻に
官人の宴席に侍した、教養のある女性

とある。現代ではうかれめ(浮かれ女)と云ふと怪しげな女を連想するが、万葉の時代と現代では意味が異なる。
遊行女婦(うかれめ)は歌を作りてその上に古き歌さへ自在にこなす
浮かれ男(うかれお)を試しに作りその意味は友達優遇嘘答弁か 文書改ざん

話は先に進み
巻十六には、(中略)妻争い、竹取翁と仙女とのやりとり以下、語りを伴った歌が並ぶ。(中略)中には演技を伴う場合があったかもしれない。数次の段階を経て成長したと認められる竹取翁歌(巻十六、三七九一~八〇二)など、初期の段階ではその可能性が大きい。

相聞や挽歌にも、歌語りと考へられるものが意外と多いと云ふ。
万葉は幅か広くて東歌防人歌を歌の守りに
(終)

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