千八百七十五(うた) 「キレる」を使ってはいけない
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
十一月十二日(土)
今から二十五年前の話だが、当時小生が勤務した会社に外資系コンピュータ会社を定年退職した人が「顧問」の肩書で入社した。しかも私が所属する部に配属になった。
この人が或る時「キレさうになった」と云った。当時は一部の若者しか使はない語だったので、なぜいい年をしてこんな言葉を使ふのかと驚いた。
外資系はときどき変な言葉を使ふ人がゐる。我々が客で外資系は売る側なのに、その会社に資格所持者が三百人強ゐたとして「うちは所持者が三百人ちょいちょい居ますから」と云はれたことがある。客に向かって「ちょいちょい」は不適切だ。
「キレる」が不適切な理由は、責任範囲外だからだ。「怒る」は自分が能動的に起こす。「キレる」は自然発生だ。怒ることが悪いと感じない人は、かう云ふ言葉を選ぶ。
日本では徳川幕府の悪政で、今でも仏道を信じる人がほとんどと云ふことになってゐる。仏道では貪瞋痴(とんじんち)を悪いこととする。このうち瞋の読みは「いかり」で怒ることだ。小生は南伝の仏道と関係してから怒ることが無くなった。六根から入る情報で心が怒ることが分かれば、怒ることはない。とっさに強く云ふことはあるかも知れない。これは反射神経であって、怒った訳ではない。
それに対して「キレる」は、糸を引っ張ったのと同じでキレて当たり前、引っ張ったほうが悪いことになってしまふ。
斑鳩(いかるが)は聖徳太子瞋(いか)る事実は勧めるキレるの本義


十一月十四日(月)
一昨日は南伝仏道に触れたが、日本で南伝仏道を信仰して好い結果が出るかは不明だ。小生が、文化の土台の上に宗教があると主張する所以だ。在日のタイ人、ミャンマー人を見倣ひ信仰をするのなら大丈夫だが、その機会は少ない。因みにタイ人やミャンマー人と、英語で意思疎通してはいけない。言語は文化の重要部分だから、それでは欧米化した仏道になってしまふ。
だから日本の大乗仏道に戻り、これを見よう。貪瞋痴がいけないのは、大乗の仏道も同じだ。そして天台宗、真言宗までは、止観(瞑想)をする。天台宗の比叡山で修業をして発生した鎌倉仏道は要注意だ。末法に入り仏道が死んだと考へる中で発生した。だから貪瞋痴は分かっても、それを実行できない。
お薦めは、天台宗か。天台宗も過去には、比叡山と三井寺の対立や僧兵の横暴など、いろいろな事があった。天台宗は堕落してゐるが、他に好い宗派がないので覗いてみた。こんな感じがよい。目標は貪瞋痴を消滅させることだ。
貪瞋痴無くすためには少しづつ在家は趣味でまづ始めよう

貪瞋痴を無くすと、不思議と人生がうまく行く。ここで気を付けることは、相手側に万一、不当な行為があったときは、きちんと対処することは必要だ。小生の場合も、従業員を使ひ捨てにする会社に対しては、きちんと対抗してきた。これは貪瞋痴の痴を無くすと、きちんとできる。痴は「おろか」と読む。
相手が憎くて対抗するのではない。膨大な数の人たちを不幸にしてはいけないと正した。(終)

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