千八百二十五(うた) 茂吉の歌論(その二)
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
九月四日(日)
斎藤茂吉選集第十八巻(歌論五)の「万葉短歌声調論」を読み、気付いた事を記したい。まづ
短歌に於ける『声調』といへば、その概念が大体理解出来るほど普遍化した語であり、真淵や、景樹等の謂つた『調べ』といふのと大体おなじものである。

そのとほりだ。だから
短歌の声調は、音の要素のみではなく、意味の要素をも同時に念中にもつて論ぜねばならぬ。それからその二つの結合から成る、『句単位』を以て『声調の単位』として論ぜねばならぬ。

これも十割賛成だ。
一首の万葉調になるために、用言、虚語即ち、動詞とか副詞とか助動詞とか天爾乎波などの具合がなかなか重要な役割をして居るといふことがわかる。それだから、明治の新派でも古語の名詞などをどしどし復活させた一派があつたが(中略)万葉調の歌にはなり得なかった。


九月五日(月)
万葉の巻一、巻二あたりの歌は
句単位、即ち声調の単位が、皆整つてゐて、(中略)助辞などの次の句単位へまたがることもなく、句割れなどのことがない。

その後も続き
第二に、それだから意味が分かりよい。(中略)第三に、声調が一般に延びて、屈折があつても一首の声調に統一があり(中略)第四に、一般に単純化されて居る。(中略)第五に、声調の意味の要素(表象的要素)について見ても、実に感歎すべきもののみである。

茂吉書く万葉短歌声調論に 五つある万葉初期の特徴につき


九月九日(金)
第二十巻(歌論七)の「短歌初学問」に、写生は写生の定義のまま直観的に実行すべきで、「説明と注釈とを繰返すことは禁物である」とする。私自身は、写生説に賛成でも反対でもないが、茂吉はこのあと
仏典の注疏は注疏に注疏を重ねたために根本から遠ざかつた。

例へが面白い。
印象派の絵画運動といふものは、自然主義文学運動と共に、実に新鮮な生命であつて、世界を動かしたものであるが、やはり末流によつて沈滞せしめられ(以下略)

かうなった理由は
主義主張が止むに止まれぬ内的精神的要求によつて行はれ、主義主張と実作とが相伴つてゐた(以下略)

それに対し
末流に至るに及んで、(中略)実作がそれに伴はない。

これは同感だ。
写生を念とする歌人は、おのづから常に、真実、真といふことを心懸けてゐる。(中略)先師伊藤左千夫先生が茶室を建てて「唯真閣」と名づけたのは、その友蕨真(わらびまこと)氏の好意酬ゆるため(中略)それに作歌道の真実を暗指せしめたのであつた。

蕨真一郎は、号を蕨真(けっしん)と称した。だから真は「しん」としか読まない。「わらびまこと」は編集者の間違ひだらう。それより茂吉の左千夫への誠意、茂吉と蕨真の友情を感じることができる。
左千夫門下中、例へば、島木赤彦、斎藤茂吉、古泉千樫、中村憲吉、土屋文明の五人は互に出入があつて、同等の力量と見做すべきであるから、その一人のみを揚げて他を貶しめるやうなことがあつてはならない。

これも同感。
子規門下左千夫門下の歌人たち同じ力量同根多彩
(終)

「良寛、八一、みどり。その他和歌論」(百)へ 「良寛、八一、みどり。その他和歌論」(百二)へ

メニューへ戻る うた(三百六十四)へ うた(三百六十六)へ