千七百八十八(うた) 牧水の云ふ新派とは
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
七月二十六日(火)
牧水が、新派を批判した文章を読んだ。牧水は尾上柴舟に師事し、柴舟は落合直文の系統だから、牧水も新派と一般には考へられる。しかし牧水が新派を批判したとなると、新派ではないことになる。私は作風が柴舟とは異なるので、新派ではないと元々思ってきた。
牧水が批判する新派とは、与謝野晶子とその類縁であらう。子規の門流では、左千夫とその同世代までは新派ではないが、茂吉や赤彦の世代は新派ではないのか。
私は茂吉に不信感を持つが、それは茂吉の流派の人たちが、左千夫と茂吉の関係が無かったやうに装ふからだ。左千夫は晩年に茂吉や赤彦と歌論で対立があった。しかし左千夫が急死したので二人は動揺し、赤彦は死後も左千夫を尊重した。これでよいではないか。
それなのに後世の人たちが、茂吉が左千夫に師事したのは短期間だったなど、歴史を曲げるのでこれはよくない。
だから今回、アララギ系で茂吉や赤彦以降の世代を新派としたのは、これとは無関係だ。
牧水が新派と呼ぶはどこまでか自身含まずこれが手掛かり


七月二十七日(水)
牧水の主張で私と異なる点は、歌は詩でなければいけないとすることだ。別の表現で、感動がなければならないとする。
子規の写生論への反論なら、理解できる。しかし子規の写生論は、そのとき優勢だった旧派(古今調、新古今調)への攻撃だとすると、詩論(感動論)をわざわざ云ふ必要はなくなる。
それより問題なのは、詩かどうかは西洋文学の発想だ。日本では歌、発句(今の俳句)か違ふかの区別はあっても、詩かどうかの区別はない。
牧水は感動を気にするあまり、寂しい歌ばかりを作るやうになったのではないか。明るく感動する場面は、さう多くはない。
そもそも歌を読んで感動しないことはない。感動しない歌は、詩かどうかではなく、作り方が悪いだけだ。
維新前千百年は漢詩のみ詩か違ふかは意味を為さない
(終)

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