百七十六、石原莞爾と劇画「ジパング」
(その三、二度の横須賀出航)


平成二十三年
六月二十七日(月)「二度の200x年六月」
イージス鑑「みらい」が出航する場面が二度ある。一回目は第一巻の冒頭である。テレビのアナウンサーが「日米新ガイドラインのもと日本国民そして自衛隊が歴史的第一歩を踏み出します」「エクアドルの争乱がわが国の周辺事態に当たるか否か国内世論はまっぷたつに割れコンセンサスも無きまま・・・」と放送し、背後ではデモ隊が「バカヤロー、アメリカの犬め」と叫んでゐる。
そして「みらい」は嵐に巻き込まれミツドウエー海戦にタイムスリツプする。乗組員も「これは神が与えた罰だ。やはり間違っていたんだ、新ガイドラインが」と動揺する。
その後、ガダルカナル撤退やベンガル湾空襲に参加しマリアナ沖で副長角松を残し全員死亡する。角松はアメリカに送られ二十一世紀の情報を元に日系アメリカ人として冨を築く。そして200x年六月来日し横須賀から出航する「みらい」を見守る。乗組員は角松以外は全員がそろつてゐる。
しかし二度目の出航にもう一つ違つたところがある。それはテレビのアナウンサーとデモ隊がゐない。これは第一巻が2000年に出版され、このとき日本社会党は四年前に解党はしたが影響が残つてゐた。最終巻は2009年で自民党と民主党にグローバルや新自由主義を叫ぶ売国奴みたいな連中が現れたあとだつた。もはや「アメリカの犬め」と叫ぶデモ隊は存在しなくなつた。

六月二十八日(火)「経済と官僚主義」
先の戦争の原因は、経済と官僚主義にある。世界のほとんどが英米仏蘭の植民地では戦争が起きるに決まつてゐる。 もちろん日本には植民地獲得ではなく植民地の解放を列強に訴へる方法もあつた。だから戦争を正当化することはできない。
戦争の原因を経済と官僚主義と考へると先の戦争を引き起こしたのは「ジパング」に登場する副長角松のような人間と言へる。なぜなら角松は戦後の経済発展と官僚主義の象徴である。

六月二十九日(水)「辻政信」
「ジパング」に登場する陸軍の石原莞爾、辻政信、今村均を「ジパング」を離れて史実から見てみよう。辻政信は投降した馬賊の額に烙印を押すことを中止しようとして東條英機と激論になつた。民家に火を放つことも止めさせようとして現場の指揮官と衝突した。石原莞爾が戦略立案者なのに対して辻政信は職業軍人に留まる。しかしその辻政信でさへこれだけの主張ができる。官僚主義に堕してゐないからである。

七月七日(木)「官僚主義が南京事件を起こした」
南京事件は官僚主義の起こした典型である。中支那方面軍司令官の松井石根は東條英機ら六名のA級戦犯とともに死刑になつた。松井は教誨師の花山信勝に南京事件について次のように語った。
「私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときは、シナ人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。
慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。そのときは浅香宮もおられ、柳川中将も軍司令官だったが、折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落としてしまったと。
ところが、このあとでみなが笑った。甚だしいのは、ある師団長の如きは「当り前ですよ」とさえ言った。」

官僚主義の特徴は周囲と合わせて突出しないことと少しずつ堕落することにある。
それにしても「泣いて怒る」とは尋常ではない。通常なら「注意する」、度が過ぎるときは「怒る」。それらをはるかに超へることを配下の師団はしてしまつた。

七月八日(金)「陸軍大将今村均」
「ジパング」では今村均は陸軍の良識派として描かれてゐる。今村の著作を四十年近く前に読んだが次のようなことも書かれてゐた。

陸軍大学(或いは士官学校か)で、略奪や強姦は戦闘力を高めると教へるの教官がゐてそこは納得できなかつた。その教官が南京事件の時の指揮官で死刑になつたのも当然であつた。

誰のことなのか今回今村の著書をずいふん調べたが見つからなかつた。 詳細に全部読めば見つけられるがその時間がなく、しかし今村について新発見をした。

七月九日(土)「石原莞爾と今村均の関係」
石原は病気の治療のため今村に連れられて入院したことを書いてゐる。だから石原と今村は仲がよいと思つてゐた。
しかし今村の著作を読むと石原批判がかなりあり、石原を貶めようとする人たちが昭和五十年あたり以降これらを悪く引用して現今の石原イメージを作つたことが判る。
その一方で今村は満州事変のときの関東軍に理解を示すことも書いてゐる。今村が参謀本部作戦課長のときに石原のゐる関東軍は中央を無視した。その後石原が参謀本部作戦部長のときに今村は関東軍参謀副長で中央を無視した。
互いにライバルであるとともに自分にも思ひ当たるところがあるため相手を強く批判もできないことも敗戦後の初期まではあつたのであろう。

七月十日(日)「軍部の組織欠陥への三人の対処方法」
石原と今村は宗教性で軍部の民間に対する高圧性を克服した。そして石原と辻は大アジア主義で官僚主義を克服した。一方で今村は人間性によって官僚主義を克服した。だから完全ではなかった。それは今村が作成し東條陸軍大臣の名で発表された「先陣訓」に現れてゐる。「 生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」では捕虜虐待は目に見へてゐた。自分が生きないのに捕虜を生かすわけがない。
しかし今村が人間性でかなり官僚主義を克服したのは事実である。それに対して多くの軍人たちは克服できなかつた。

七月十二日(火)「副長門松が陸軍に行くとどうなるか」
戦前の陸軍と今の海上自衛隊は三つの相違点がある。陸軍は日清、日露の戦争で大活躍をしたが海上自衛隊は米軍保護下の日本に存在する。陸軍は目の前で敵味方が殺し合うが海上自衛隊は離れた距離で戦闘をする上に実際にミサイルや爆雷で被害を受けた訳ではない。陸軍は首相を多数出したし権力もあつたが海上自衛隊はない。
もし陸軍の環境におかれたら副長門松は南京事件の師団長のようになるのではないか。周囲の悪習に染まらない者は極めて少数だし石原や辻のような個性が必要である。

七月十四日(木)「アメリカの属領」
イージス艦「みらい」の乗組員は「了解」の意味で「アイサー」と答へる。アメリカ海軍も「アイサー」を使ふ。もし海上自衛隊が本当にそういふ言ひ方をするのならすぐに止めるべきだ。国恥ものである。
「ジパング」最終巻で日米両軍は均衡し停戦を迎へる。占領地を返し軍部は縮小し国防軍になつた。しかし戦後の民主化は不徹底で階級は半固定化され、戦後の開放感もその後先進国病になつた。
「ジパング」はこれまでの巻では日本が敗戦したほうがいいような描き方をしてきた。だから米内光正に「日本国百年の計にとってこの戦争勝ってはならんのです」「どんなに犠牲を払ってでも」と言わせてゐる。
しかし負けてもならなかつた。軍部の犯罪を外国が裁くことになつたからである。秦郁彦によれば南京事件を中国共産党は問題にしてゐなかつた。蒋介石が軍隊を市内に残して逃走したのが原因との立場だつた。だから国民党の汪兆銘は蒋介石と分裂した後は南京に親日政権を樹立した。南京と聞いたらまず南京政府を考へなくてはいけないのに南京大虐殺を連想するのはアメリカの洗脳のせいである。
だからと言つて南京の不祥事は正当化できない。陸軍または日本政府が内部調査し厳罰すべきだつた。敗戦はその機会を永久に奪つた。南京事件は占領時の一時的な混乱だが、イギリスはアヘンを売り付けることで多数の廃人を作り中国を何世代にもわたつて堕落させた。この罪のほうが悪質である。しかしイギリスは中国に謝罪したか。
南京事件を過大に扱ふことにより日中関係を悪化させようとするアメリカCIAの工作に乗らないよう警戒が必要である。現に
東京大学教授林香里はアメリカの元国防次官補の言葉を引用して韓国への謝罪が不十分だ、と筋違ひな主張をしてゐる。

七月十六日(土)「昭和五十年以降の日本」
副長門松は主役にしては人格がなく杓子定規な反面、熱血漢に描かれてゐる。 最終巻で日系アメリカ人となり冨を築くことで本性を現す。日本軍を応援することは後出しじやんけんだとさんざん嫌つた角松が二十一世紀の情報を元に冨を築くその矛盾によつてである。
石原莞爾については「あの方がどこまで関与したのか正確なことはわかりません。政府・民間機関からの度重なる招聘を断り郷里・鶴岡で口を閉ざしたまま隠棲生活を送っているからです。しかし終戦時最も懸念された関東軍の暴走が無かったことは事実です」とよい方向に修正してゐる。
昭和五十年以降に顕著になつた石原や辻のような大アジア主義の印象を悪くするといふマスコミの風潮に従いながらも最終巻で本来の姿勢に戻つたと言へる。(完)

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