千七百六十八(和語のうた) 1.空振りに終った大隈言道、2.歌人講座「近世の歌人」
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
六月二十三日(木)
大隈言道の「草径集」を読んだ。破調が無いし、和語ばかりで美しい。ところが、内容が無い。目の前の写生では駄目だ。子規が写生と云ったのは、当時の旧派や明星派を批判してのことだ。
前回読んだ書籍には三首載り、どれもが佳作でうち一首は童を詠み、類似して童を詠った別の二首も小さな活字で載り佳作だった。だが九百七十余首のうちの五首だった。
ひと時は五つの歌で言道を間違へ思ふ優れ詠み人


六月二十六日(日)
「大隈言道」で検索できたもう一冊の「近世の歌人」では
その観察のこまかさと鋭さと奇警とは過去のいかなる歌人も及ばないほどである。また、(以下略)
居並びてあるだに暑き夏の日に身に身を寄せてなれる桃の実

歌の前の解説は大げさだ。この歌は「身に身を寄せて」が優れるものの、他の部分が冗長で、全体ではやや優れるか。よほど大隈言道へ贔屓なのかと思ふと、さうでもなく桜の歌二首について
西行の真似かは知らんが、分別があってわざとらしく

次の二首も酷評し、さうなった原因は
西行の純粋さ生一本さがなく、それに第一、西行が桜に自分のすべてを賭けていたのに対し、言道は桜を楽しんでいる。

言道が楽しんだのは桜ではなく、純粋さ生一本さがなく風流人と思ひ込むことを楽しんだのではなかったか。
心からすべては出さず歌作り人も心をすこし聴くのみ

「近世の歌人」には真淵、宗武、景樹、良寛など他の七人も載る。このうち良寛は宇佐美喜三八さんの担当だが
宝暦八年の出生とするのは、天保二年(一八三一)正月六日七十四歳で示寂したとある確実な記録に基づいて逆算されたものである。十二月の生まれとする説や、宝暦七年に生まれたとする説などは、信ずべき拠り所がないといってよい。

この本は昭和四十四年に出版された。その後平成六(1994)年に田中圭一さんの「良寛の実像」が出版され、宝暦四年説が出た。宇佐美喜三八さんが、信ずべき拠り所がないと力説したのは宝暦四年説に対してではないから、やむを得ない。宇佐美さんは大阪大学教養部教授。肩書が無いのはよいことだ。近年は四流大学教授の肩書で自説を押し付ける悪質な連中がゐるので注意が必要だ。四流大学以外にもゐるが、その場合は四流が教授に掛かる。(終)

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