千七百五十六(歌) 「アメリカの核は日本を守る最大の武器ではない」を読んで
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
五月三十一日(火)
Presidentのホームページに
「なぜ原爆を落としたアメリカを恨まないのか」今の日本人に決定的に欠けているもの
が載った。作家宮崎学さんの著書の抜粋である。この題よりも、副題の
アメリカの核は日本を守る最大の武器ではない
に同感だったので、今回の記事を組んだ。
冷戦後四半世紀が経ち、世界は再び動乱の時代を迎えているが、日本だけは相変わらず「対米追従」という国是を盲信している。だが、そろそろ乳離れすべきだろう。
本来ならば冷戦終結を転機とすべきだった。そこで日本は思考停止状態のまま、「アメリカ」という選択肢を選んだ。いや、決断を伴わない以上、それは選択ですらなかった。単なる惰性、現状維持にすぎなかった。
ここまで同感。
冷戦が終結ののち思考せず選択もせず今を迎へる
模索する手がかりの一つは、アジアである。
特にベトナム戦争を再考する必要がある。ベトナム戦争は資本主義対社会主義の冷戦、欧米帝国主義対ナショナリズムの独立戦争という二面性を持っていた。それゆえ日本は自己矛盾を突きつけられた。ベトナムの勝利は、日本にとって西側の盟主が敗北した望ましくない結果だったのか、それともアジアの友邦が独立した望ましい結果だったのかと。
私は後者だ。私だけではなく、社会党も共産党も総評や中立労連や新産別も後者だった。
ベトナムの勝利の時が革新の頂点となりその後没落
アメリカは未曽有の大量破壊兵器を無辜の市民に向け、彼らを一瞬のうちに虐殺した。我々日本人はとんでもない目に遭わされたのだ。少なくとも原爆投下において我々は虐殺された側である。なぜ怒らないか。なぜ恨まないか。それは民族としての根底的感情ではないのか。
戦後、日本はアメリカの核の傘の下に入った。現実政治の中において国家は何が何でも生き残らねばならぬ。そのために利用できるものは全て利用すべきである。
これも同感。
日本を守る最大の武器は、日本の国民が国民を思う力だ、国を思う力だ。(中略)それがなければアメリカの核があろうが日本が核武装しようが、日本を守ることなどできやしない。逆にそれさえあれば、アメリカの核がなかろうが何がなかろうが、日本を守り抜くことはできる。
これも同感。それなら十割同感なのかと云ふと、同感ではない部分は省いたから七割だらうか。だから次の結論も七割賛成だ。
私は米中どちらも嫌いである。人間の考えというのは感情が先に来て、理屈は後からでっち上げるものだから、以下の文章も私の「反米反中」感情に理屈をつけたものにすぎない。
(中略)
私は大国主義が嫌いである。戦前の日本がアジアを侵略したり、アメリカがベトナム戦争を仕掛けたり、中国が少数民族を弾圧したり力ずくで南・東シナ海をぶん取るのが気に入らない。(中略)だからベトナム民族は好きだが、かといってベトナム国家も好きなわけではない。国家権力は他国に暴力を振るうが、返す刀で国民にも暴力を振るうからだ。要するに国家主義、国家権力が気に食わないのである。
結局、米中の狭間で日本はどうするか。日本民族の独立自尊を追求するならば、「反米反中」の立場に立つしかない。
大国主義が嫌ひなのは同感だ。しかし国家主義、国家権力が気に食はないのは無政府主義で、これは実現不可能だ。国家を国民のものとする努力が必要だ。
無政府は不可能により国民の為の国家を不断努力で
日本が軍国主義に走ったのは、西洋列強による植民地化を避けるためで、これ自体は自衛だ。この大目的を理解しない、朝鮮の親露派や中国の蒋介石親英政権に対抗したことも、行き掛かり上やむを得ないが、朝鮮を併合したり蒋介石軍と全面戦争をしてはいけなかった。
その前の日露戦争で、日英同盟を結んだことは帝国主義と手を結んだ。これ以降日本は傲慢になった。
「反米反中」は両国が大国主義だからだが、アメリカは移民国で地球の癌細胞だ。日本の反中感情は、アメリカ側の戦略とそれに追従する日本政府の偏向(マスコミ工作)で増大したものだ。日本は、中国の大国的振る舞ひには反対しながら、文化共通性は尊重すべきだ。さうしないと日本の文化が西洋に併合される。宮崎さんは
アジアの国々と連携して第三極を目指すというアジア主義的な発想もあるようだが、それは思想的には可能でも現実的には不可能だろう。
と語る。第三極を目指すのではなく、アジアの国々と連携して中国の大国主義を軌道修正させるとともに、中国を含むアジア各国が西洋野蛮文明に反対する。その際に、戦争は避ける。これが良いのではないだらうか。(終)
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