千七百四十八(歌) 行動日記(薬を探すのに半日掛けた、国会図書館、ほうじ茶ラテ、タイ料理、昆布とわかめ、中華弁当店、マヨネーズとソースの賞味期限、埼玉千葉を結ぶ道、風呂水の有効利用)
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
五月十九日(木)
朝飲む薬が見つからない。時間がない。昼に帰宅するので、探して飲むことにした。四時間の遅れなら大丈夫だらう。
ところが帰宅後に半日探したが見つからなかった。最悪の場合、一ヶ月間薬無しで済ませ、来月通院のときまで待つしかない。高尿酸血症だから一ヶ月なら大丈夫だらうと、獲らぬ狸の皮算用ならぬ、発症せぬ痛風の皮算用を立てた。
痛風と皮と何の関係があるのか、と訊かれさうだ。痛風になると、皮の内側が腫れて痛い。数日後に皮がぼろぼろ剥けるやうになる。
五月二十日(金)
今朝は起きた後、布団に巻き込まれてゐないか探した。そのあとかばんを見ると入ってゐた。かばんは昨日も探したのだが、十分ではなかった。本来は朝だけだが、本日だけ朝と昼に一錠づつ飲んで帳尻を合はせた。薬剤師が知ったら「さう云ふ飲み方はしないでください」と云ふだらう。
半日探したので、掃除ができたし、見当たらなかった物が新たに見つかった。欠点として、ほこりを吸い込んだらしく、鼻の調子が少し悪い。とは云へ、鼻づまりや鼻水までは至らなかった。私がハウスダストアレルギーだと判ったのは、今は無き富士通病院でだ。小杉分室から中原工場までの連絡バスで二回ほど通院した。当時は鼻づまりがひどかった。あれから三十七年。部屋の掃除に気をつけた甲斐があった。
あのときから五年ほどして地元の耳鼻科で診察してもらったときは、新たに花粉アレルギーが加はった。ハウスダストは花粉に伝播しやすいさうだ。一時はどうなることかと思った。
小杉から工場までのバスがあり宮内出荷センターに寄る 寄らないバスも
五月二十一日(土)
十九日から国会図書館のデジタル化資料のうち絶版本が、自宅で閲覧可能になった。私が参加図書館で閲覧したのは十八日だから、前日だった。
とは云へ、すぐには閲覧できない。登録カードを更新しなかった。今まで何回もインターネットで更新してきたが、前回は更新しなかった。通勤用の定期券が無くなったし、コロナ騒ぎで入館制限がある。
インターネットで本日、新たな登録を申請した。思へば私が国会図書館に通ひ始めたのは、土曜開館が隔週の時代だった。土曜開館日の常連だった。東横線が桜木町までだった時代だ。国会図書館の帰りに、代官山駅手前の切り替はった線路を車内から見たことを覚えてゐる。
社会党三宅坂との別名は本部のありた場所に依る 前を歩いて図書館へ 当時は既に社民党 だが民主党連立のときまで保つ労働者党
(反歌)
村山と菅野田により戦後から続いた保革ここに壊れる
(反歌)
欧米の猿真似によるリベラルは生活破壊悪魔の思想
五月二十四日(火)
だし昆布が賞味期限間際なので、優先して使ひ終はった。気に入ったので昨日買ひに行き、約三百円なので棚の隣にあるカットわかめ百円台を買った。妻が云ふには、だし昆布とカットわかめは違ふさうだ。確かにお吸ひ物の味がしなかった。しょうゆは入れたのにだしがないと味が出ないらしい。
本日はだし昆布を買った。気に入った理由は、だしをとったあとそのまま食べられることだ。健康に良い。
五月二十五日(水)
本日は中華弁当店で五百円青椒肉絲を買った。在日インドネパール人の経営だと思ふ。一昨日のタイ弁当と比べると、量が多いし美味しい。タイ弁当はインディカ米で、調味料も割高なのだらう。だがこれだと勝負にならない。タイミャンマー料理店が中華に進出するのも悪くはない。中華で固定客を作り、タイ料理、ミャンマー料理にも関心を持ってもらふ戦略である。
弁当は公園で食べるが、日なたではもう無理だ。ベンチもほぼ満席だし、次回からは店内で食べよう。
タイの次中華料理を公園で陽射しが強く次は店内
六月九日(木)ここから後ろは行動日記2を、1に統合
マヨネーズの賞味期限が五月二十三日だ。五月初めの時点で、チューブの半分くらい残った。それ以降、家に戻って昼食は私だけなので率先して使用し、あと二回で終はる見込みだ。
使用法は、昼食の味噌汁(またはお吸ひ物)は味噌(または醤油)を一切使はなかった。私は普段から野菜をたくさん入れる。つまり野菜を摂ることを目的とする。
そして野菜は、食事の時にお椀から箸で皿に巣誇示づつ移し、マヨネーズを付ける。これでけっこう食べられる。野菜のあと汁を飲むと、口の中に塩分や油分が残るから、不味くはない。この方法でチューブの半分をもうすぐ使ひ終はる。
ソースは十二月十三日が期限だ。あと八割が残る。マヨネーズが終はったら、上記と同じ方法で野菜にソースを掛けて食べようと思ふ。
六月十日(金)
昨日、近くのドラッグストアの割引券で、免疫アシシスト生茶と、免疫ケア<ヨーグルトテイスト>を買った。どちらも(99円+税)-15%=90円だ。どちらもプラズマ乳酸菌を含有し、割引券があるので少し贅沢をした。と云っても、普段は100円(駅の売店または自動販売機で安い飲料)または110円(自動販売機で安い飲料)だから、これでもお得感はある。
本日は、免疫アシシスト生茶を飲んだ。昼食後に、再びドラッグストアで免疫アシシスト生茶と、今回は免疫ケア<レモン>を買った。
六月十二日(日)
妻と習志野に行く用事があり、下の子が車を運転してくれた。往復とも京葉道路の花輪インターチェンジを使用した。ビバホームにも行った。そこで扱はないものもあるので、スーパービバホームにも行った。かう云ふときに車があると便利だ。
帰りに、京葉ジャンクションを行きすぎて外環に入れなかった。江戸川を渡って都内に入り篠崎で降りたので、私が四十年前の知識で、江戸川に沿って北上すると外観に入れるのでは(今調べると市川北か松戸。当時は外環が無かったので、どこに入り口があるかは不明)、と言ふとそれに従ったかに見えた、一区画で折り返し再び篠崎から入って外環に行った。
暫く走ってから、カーナビは川口線へ誘導したのではないかと言ふ。1号上野線の手前まで行くのかと思ったが、中央環状線経由だ。山手通りに沿って中央環状線が出来たことは知ってゐるが、東側にもあることは知らなかった。しかも埼玉県境と違って、千葉県境は接近する。
外環と環状線は北側で十キロ離れ東で五キロ
四年前にも似た話があった。このときは上の子の運転する車で、松戸街道から外環に入らうとして江戸川を渡って都内に入ってしまった。金町周辺をうろうろ走ったあと再び江戸川を渡り、外観に入った。
外環が出来る前には埼玉と千葉を結ぶは 首都高か 十六号か 松戸より八潮新郷芝川に沿ふ
(反歌)
首都高は箱崎を経て竹橋を右に板橋十七号へ
六月十七日(金)
我が家の事務掌程(そんな文書は無いが)で、風呂のお湯抜きと洗浄は私の仕事だ。かつて洗浄は母が自主的に行った。滑ると危ないからやらなくていいと云っても、勝手に洗ってしまふ。加齢によりデイサービスで入浴するやうになってから、洗浄は私がするやうになった。
懐かしい事務掌程は富士通のマイコン時代用ひた用語
朝、お湯を抜くときに、自発で行ふ追加の任務がある。風呂の水を、たらいで二階の流し、一階の洗面所と台所の流しに放流する。台所は、かつて一ヶ月で水の流れが悪くなり薬剤で溶かしたが、今現在数ヶ月で大丈夫だ。勢ひよく音を立てて流れる。(終)
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