千七百四十九(歌) 止観(瞑想)のすすめ
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
五月二十一日(土)
止観(瞑想)は、心を安定させたり活性させる良い方法である。人により(1)安定させたほうがいい人、(2)活性させたほうがいい人、(3)安定のあと活性させたほうがいい人がゐる。
安定には止(サマタ)、活性には観(ヴィパッサナ)を行ふ。私自身は安定させたほうがいいので、専ら止を行ふ。
止観は天台大師に摩訶止観の著作があり、つまり大乗の仏道でも重要な修行だ。摩訶止観は複雑で、これは大乗が原因かとまづ考へた。しかし南伝の仏道でも複雑な瞑想法があり(例へば、円盤を見るだとか、特定の色が見えるのを待つなど)、私自身は中村元説により釈尊滅後に複雑化したと考へる。

五月二十三日(月)
前回は、人を三種類に分類できるとしたが、非常時のときは例外だ。戦前までは、日本と中国とタイを除き、世界中が植民地になった。そんなときに、世の中には安定させたほうがいい人と活性させたほうがいい人がゐる、と云ってゐる場合ではない。
だから元寇のあった鎌倉時代と同じで、明治維新以降先の戦争での敗戦を経て経済が立ち直る昭和四十(1965)年辺りまで、僧Xは人気があった。その後は平常時に移行したため、僧Xを信仰すると危険だ。
僧Xに言及したのは、一つには明治大正時代の歌人を調べると、子規門下は分裂を繰り返す。これは他派への批判を繰り返したため、自派でも同じことが起きた。僧Xも同じだ。
二つ目は数年前に、ミャンマーから南伝仏道の比丘で、瞑想が専門の僧が来日した時だった。参加した一人は僧X系から送り込まれたらしく、息に注意を集中することを質問し、回答に対しまた質問し、を延々と繰り返した後、回答に対し「最初に戻って循環じゃないですか」と行った。ここで私が「瞑想の話を聞いて分からない人は今まで一人もゐなかった。あなたが分からないのは別の理由があるので、それを解決したほうがいいですよ」と云ふと、しばらくしてこの人はゐなくなった。
この人の問題点は、僧Xが合ふ人は僧Xを信仰すればよいし、安定が合ふ人は安定、活性が合ふ人は活性をするのがよい。他人に押し付けてはいけない。今まで僧Xを信仰してきた人は僧Xを信仰してもよい、と寛容なのはこれが理由だ。
人により合ふ方法が 飲食や教育政治宗教と社会慣習 地域差もある

(反歌) 野蛮人世界にやり方押し付けて地球を破壊野生滅亡

五月二十五日(水)
止観のうちの止について私のやり方は、息に気を向けることだ。これだけで心を安定させることができる。止観に入る前に釈尊を称賛する「ナモタッサ(以下略)」或いは「ブッダンサラナン(以下略)」を唱へることもあるし、唱へないこともある。普段の生活でもブッダを崇めるから、前回唱へたことが今でも続いてゐる。唱へないのはそれが理由だし、早く止を行ひたいと云ふ理由もある。
息に集中するだけで役立つ理由は、二千五百年間続いてきた。その間に部派から大乗まで、膨大な四衆が行ってきた。その重みがあるから安定し、息に集中するだけで効果がある。
仏道は二千五百の年を経るその重みにて地球を守る
(終)

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