千七百十六(歌) 行動日記(旧ホテル海洋、眼鏡購入、洗髪を二日おきに、伯母と太田水穂、浦和駅西口界隈)
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
四月九日(土)旧ホテル海洋
大久保駅の西に高層ビルがある。本日その前まで行ってみた。ビル名が英語で、中短期マンションの入り口が大久保通りの裏側にある。この異様な雰囲気は何だらうか、と帰宅後にインターネットで調べた。
旧ホテル海洋で、平成四年に開館、平成十七年ホテル海洋譲渡(船の科学館付属研修会館としての役割を終へる)。
その前は昭和五十年船の科学館付属研修会館「東京海洋会館」開館、昭和六十三年新館建設のため、東京海洋会館の営業を終了、とある。五年くらい前に建設されたのかと思ったら、二十年前だった。
因みに平成二十三年船の科学館「本館」の展示を休止。青函連絡船“羊蹄丸”の保存・展示を終了。船の科学館のエンジン室と操舵室とレストランは気に入ってゐたので、閉館は残念だった。
ホテル海洋の写真を見ると、一階が玄関ロビー、二階三階が国際会議場、四階が会議室、五階がレストラン菊、六階が株式会社日本レジャーチャンネルと一般財団法人日本モーターボート競走会、七階が日本モーターボート競走会事務局とBOAT RACE振興会広報部、九階が日本レジャーチャンネルとJLCエンタープライズ株式会社、十階がBOAT RACE振興会、十一階がライフプランニング・クリニック(聖路加サテライト・クリニック)ともう一つは画面が切れて見えない。八階が抜けてゐるのは役員室か。
日経不動産マーケット情報に、敷地の一部を関東ITソフトウェア健康保険組合に売却、とある。なるほど大久保通りに面した入り口部分を売却し、小滝橋通りの旧駐車場を入り口にしたらしい。
お台場に船の科学を展示する 日本一二に気に入りの博物館が無くなるは 七年前の出来事だった


四月十日(日)眼鏡購入
近距離用の眼鏡を紛失したため、今まで中距離用で済ませてきた。読書の時は、眼鏡を掛けずに読んだ。しかし目が疲れるので、先日浦和駅近くまで行き、眼鏡を作った。前回と同じ度数なので、検眼は無し。出来上るまで、市立中央図書館に行った。
茂吉、良寛と茂吉、良寛の三冊を館内で仮に読み、良寛以外を借りた。良寛は歌の番号に丸を付けた人がゐる。読むとき先入観が入るから、かう云ふ本は読まない。
受け取った眼鏡は快適だ。食事やパソコン操作の時は、近距離用がよい。
久しぶり浦和に行きて図書館へ駐輪場の記憶が戻る


四月十九日(火)洗髪を二日おきに
四十年以上に亘り、洗髪は一日おきだった。最近は二日目になっても髪の毛に油が付かないので、シャンプーの量をかり減らしたが、前回二日あけて本日も二日あけたので、これで二日おきが確定した。
年齢が上がってゐるを洗髪の回数にてもしみじみ思ふ

(四月二十九日追記、前回と今回は再び一日おきに戻った。たまたま新陳代謝が悪かったのかも知れない)

四月二十日(水)直箸、伯母と太田水穂
近年は、直箸が禁止になってきた。我が家も同じで取り箸を用意する。ところが母はときどき直箸をするので、共通の皿を離しておき、私か妻が母の皿に盛る。本日は数ヶ月ぶりに直箸しようとしたので「駄目」と注意したところ、へそを曲げてまだ残ってゐるヨーグルト少しと先ほど取らうとした伊達巻を食べない。「食べ物を無駄にしては駄目だよ」と云っても食べない。「贅沢は敵だ」と云っても効果が無いから、云はなかった。
広丘の短歌公園や短歌館の写真を見せ、昔は広丘は田んぼや畑だったね、などと雑談し、更に上高地線が昨年の豪雨で運休してゐる話と松本駅アルプス口の代行バス乗り場の写真を見せ、「まだ残ってゐるよ」と云ふと食べた。
苦労して食べさせた甲斐があり、伯母(母の上から二番目の姉)は松本第二高女で太田水穂から国語を習った話を聴いた。母はときどき昔のことを思ひ出す。

四月二十一日(木)浦和駅西口界隈
昨日は、午後に妻と浦和駅近くへ行く用事があった。私は午前中勤務、妻は免許書き換へなので、それぞれ昼食を食べ、浦和駅前で待ち合はせた。久しぶりに、伊勢丹裏側の飲食街を歩きそして昼食を食べた。
浦和駅前通りの左側の一角が閉店街になった。再開発するらしい。バスの停留所で「埼玉会館前」が新設された(おそらく数十年前)。「新国道」(後に「検察庁前」と改名)が廃止になった(これもおそらく数十年前)。インターネットで調べると、検察庁はさいたま地裁の東にさいたま法務総合庁舎ができて移転した(おそらく数十年前)。
浦和には自転車乗りて行くためにたまにバスだと浦島太郎
(終)

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