千七百四十三(和語の歌) 潮みどりの歌(その二)
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
六月五日(日)
国会図書館の「潮みどり」で検索できた「現代婦人詩歌選集」(大正十年、婦女界社)を読んだ。女流歌人多数が載る。そのうち「潮みどり」では「をとめの日」三十一首が載る。
いく重(へ)やま深(み)山の奥の山ざくら松にまじりて咲きいでにけり

この歌は、歌集を読んだときも佳い歌として選歌してもおかしくはない。振り仮名が無いので深山の句を「お」のある六文字として見逃した。歌集では「深山桜」の章、この書籍では「をとめの日」の章に載る。つまり三十一首は著者が選歌したものだ。
はる真昼かすみの奥の峡(かひ)ふかく沈み匂へる山ざくら花

歌集では峡に読み仮名が無く、破調と間違へた。「はる真昼」はぎこちないが、そこまでして字数を合はせた努力に敬意を持つ。尤もこの表現は牧水にも「春真昼ここの港に寄りもせず岬を過ぎて行く船のあり」がある。牧水にも敬意。私だと「春の昼」と特徴の無い句にするか、二句目に移して「春の真昼に」とするところだが、牧水は「春真昼」で勝負した。
すがすがし朝山みると降り立てば野には澄み入るよしきりの声

「朝山みると降り立てば」「野には澄み入る」が美しい。私は「すがすがし」が末尾に来る歌は選ばないが、今回は朝山を修飾するものだった。
いつとなく水量(みかさ)まさりて瀬を早みながるる川に咲きつづく合歓木(ねむ)

歌集にも水量は読み仮名がある。「瀬を早み」が崇徳院のあまりに有名過ぎるのと、合歓木の花を私自身見たことが無いので見逃した。「水量まさりて」が美しい。
をとめ子のひとり居るべき野ならずと夕暮の色に負はれてかへる

「ひとり居るべき野ならず」「夕暮の色に負はれて」が美しい。ここまで十四首のうち五首だから、かなりの高率だ。ここから先は十七首のうち一首で、子規や左千夫と同じ5%程度になる。
雲のかげ日にけにしげくなりまさり昼も真青(まさを)に山の澄むなり

「雲のかげ日にけにしげく」「山の澄むなり」が美しい。私は口語で詠むから、「なり」「けり」「ぬ」があると字数合はせではないかと疑ってしまふ。あと現代語から見て変に思ふ表現を避ける傾向にある。「真青(まさを)」がそれだった。

六月七日(火)
みどりの佳作が大正九年と十一年に集中する理由を調べることにした。歌集は大正六年から始まる。一昨日選んだ「いく重(へ)やま」と「はる真昼」は、歌集の中だったら見逃しただらう。「現代婦人詩歌選集」に選ばれたので、私も採点が甘くなった。一首目は、深山の奥と、松にまじりて咲くのと、関係があるか。二首目は、峡ふかく沈むのと匂へるは並列できるだらうか。ふかく沈むと匂はない。
大正六年は破調も多く、まだ練習段階の気がする。歌集の小伝には大正六年
二月「創作」復活とともに同誌上に歌を発表し始む。早くも同社中の人気を一心に集め(以下略)

とあるが、それは褒め過ぎで牧水の奥さんの妹なので注目されたやうな気がする。或いは私が気づかない優れたところがあるのか。
大正七年も、六年と同じだが「いつとなく水量まさりて」はまともな歌だ。大正八年は結婚の年だ。恋愛の歌を除くと、七年と同じだった。
大正九年は、「暁の雨」十八首で一つも無し、「富士及び裾野」は十首のうち二首が佳作、「三保松原」は二十七首のうち四首が、静岡清水山は七首のうち一首、「安倍川」は七首で無し、「沼津行」は十三首のうち三首が佳作だ。旅行が終はり「本牧より(その一)」は十四首で無しだが、「あいうお」の字余りは破調ではないなら
朝風の身にしみとほるすがしさにかへるときなき蓮池のほとり

は佳作だ。「本牧より(その二)」は十八首で無しだが、次の三首は連作として佳作だ。
目ざかりの巷の花屋よびいれて真赤きダリヤ買ひしめにけり
陽に透きてもゆるばかりのダリヤみなわがものにして今日のたのしさ
あちこちにダリヤを配るうれしさに足(あ)の音(と)せはしき昼の部屋かも

静岡は旅行記として連作の美があり、風景の美があり、新婚のうれしさの美があった。本牧は、景色の美が無いものの、連作としてみると新生活の美がある。
大正十年は、「水仙の花」十九首で無しだがこれは表面で読んだ場合で、一番目の歌に(わが婢しづ子に四首)とあり、お手伝ひさんの若い女性が病気で横になったみどりが連作を作った。この年はまだ発病ではないが、その前兆だったかも知れない。「惶(あわたゞ)しくて」では十五首で無し。病気で心が沈んだ状態が痛々しい。「予後」はまだ完治ではないらしく「疲れたる心をここに置き捨てゝ」の歌に現れる。十八首で無し。「さみだれ」は七首で無し。「夏の一夜」は十四首で無し。客人が来て楽しんだ話で、日記を定型にしたものとして鑑賞すると読んで退屈はしない。このあと病気が再発することを読者は知るので。「糸萩とダリヤ」は七首で無し。「りんだうの花」は十一首のなかで
りんだうの小瓶になじみ咲く見れば安らけきおもひわれに沸きたり

は「小瓶になじみ」が美しい。
りんだうは日をつぎつぎに咲きかへりさやけき秋の空の色なす

は「日をつぎつぎに咲きかへり」「空の色なす」が美しい。
窓もるる薄きひかりにほゝ笑みて瓶になじめるりんだうの花

は「薄きひかりにほゝ笑みて」「瓶になじめる」が美しい。
りんだうの花おもむろにひらくなるしづけき光わが窓に射す

「しづけき光わが窓に射す」が美しい。指摘した部分だけが美しいのではなく、全体の調和で美しいのは、これまで多くの人の歌でも同じだ。
もの書く手とどめてみればしづけしや薄日のかげのりんだうの花

「もの書く手とどめてみれば」「薄日のかげのりんだうの花」が美しい。
ゆきちがふ電車のひゞきしげけれどりんだうの花おもむろに咲く

「ゆきちがふ電車のひゞきしげけれど」があるので後半が活き活きとする。「ゆきちがふ」があるので前半も活きた。
「ある時」は七首あるが、よく判らない。今までと異なる歌で、背景が判らない。

六月八日(水)
いよいよ大正十一年に入る。「きさらぎ」はその一の「編年体大正文学全集 第十一巻大正十一年」で紹介した。「菜の花」は九首。この年は二十八首だけだ。病気が悪化したのかも知れない。
大正十二年は歌の数が復活する。「白雪を迎う」は七首で、どの歌も悪くはない。「春立つ頃」は九首で無し。「起きふしの歌」は十一首で無し。「をとめの友」は十一首で無し。やはり病が原因で低調になったのか。次は「病みて歌へる(その一)」十一首で無し。「病みて歌へる(その二)」二十九首で無し。「震災のあと」四首で無し。震災は九月だから、その後は生活だけで大変だったのだらう。
大正十三年は七十七首あり、そのうちの
降る雪につばさ重りて休むらしくごもりに啼くこの椋鳥(むく)の群は

五句目の字余りは目立たない。選ぶ歌が無いので字余りでも選んだ側面はあるが。「この」は軽く「の椋」「の群」と「のむ」で同じ音を繰り返したためか。
大正十四年は
さしそへる朝の光に高槻のほつ枝の雪のふふみてぞみゆ

「ぞ」の係り結びで「みゆる」では。「ぞ」で一旦切れるのだらうか、と云ふ問題は抜きにして選ばないと、佳い歌が見つからない。
滴(た)りやまぬ雪のしづくにわが軒端ときならぬ春のしめりごこちぞ

「滴りやまぬ雪のしづく」「わが軒端」が美しい。
夏にのみ立つとおもひし蚊ばしらの春まだ寒きわが軒にみゆ

「夏にのみ立つとおもひし蚊ばしら」「春まだ寒きわが軒」が美しい。
びようびようと春のあらしの吹くなべに椎の落葉のひかりつつ散る

「びようびよう」「ひかりつつ散る」が美しい。二つの後の歌に「散歩まだ身にかなはねば」とあるので病は完治ではなかった。
いたづらにもの思ふやめて幼きにかへれかへれと蛙は鳴くも

治るか分からない病気で、心を平静に保つのは困難だ。この歌の後も、同種の歌が続く。
大正十五年は
わが蚊帳の四方のつり手に鈴つけて鳴らすがごときこほろぎの声

「四方のつり手に鈴つけて」が美しい。病気になると、推敲があまりできなくなる。佳い歌が少ないのは、これが最大の原因であらう。(終)

追記六月十三日(月)
今回の特集は(和語の歌)を名乗るのに、私の歌が一つも無い。過去にも昔の人たちの歌を多数紹介した特集では、私の歌を載せなかったことがある。しかしそのときは(歌)を名乗り(和語の歌)では無かった。そこで急遽一首を作った。
十日よりみどりを三たびこの歌はやまと言葉の歌に引かれて

十日より始まったのは(和語のうた)「作歌入門」を読んで(「潮みどり歌集」評)である。

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