千七百三十九(和語の歌) 若山牧水の孫が松本電鉄に入社した話
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
五月七日(土)
先月行った塩尻短歌館のパンフレットを母に見せて説明したところ、若山牧水の孫娘が松本電鉄に就職したと云ふ。母は九十歳なので、記憶違ひも多いだらう。だからそのまま信じるのではなく、いろいろ訊いて判断しないといけない。
母より五歳くらい年下ではないかと云ふ。牧水のことを「おじいちゃんが」と自慢するので、皆に嫌はれてそれほど長くは勤務せず退職した。母とは、たまに顔を合はせるだけだった。
どこで仕事をしたか訊くうちに、私が「庶務部かな」と云ふと、それは本社だと云ふ。鉄道部、軌道部、自動車部とあって、鉄道部は上高地線、軌道部は浅間線だった。三つの部は現業機関なので本社に事務所があっても本社とは呼ばず、庶務部や経理部などを本社と呼ぶらしい。
美人で、姓は若山ではなかった。美人を活かせる仕事に転職した。松本電鉄に就職するには、身元調査が厳しかったから、牧水の孫なら入れるだらう。瀧澤知足さんが社長になってから、自動車部は行き先を云はれたらきちんと答へられないと駄目になった。母は山本寅雄さんの時代に入った。
こんな話を聞いた。社内の組織や、年齢顔かたちまで聞いたのは、記憶違ひを防ぐためだった。
鉄の道乗り合ひ車それぞれに関はる人が多く働く


五月八日(日)
牧水は明治十八(1885)年生まれだから、滝澤知足さんが社長の時代に十八歳前後の孫娘が入社することに、矛盾はない。牧水の歌は、今でも人気が高い。今後調べてみたい文豪だ。
三十年ほど前に、寝台特急「富士」で宮崎から東京に戻るとき、車内改札で車掌が牧水のオレンジカードを販売するので一枚購入すると、牧水について記した小冊子を頂いた。それにより宮崎の出身だと知ったが、先月の旅行で塩尻とも関係があることを知った。
赤彦は塩尻の広丘小学校校長。その関係から左千夫、節とつながり、牧水の妻喜志子の妹は潮みどりだ。大きな歌人の脈が広がる。潮みどりは塩尻短歌館で大きく取り上げてあるので、やはり調べてみたい。
うた人の関はり多い広丘は 富士の形が塩尻と伊勢物語 同じ名がみすずかる国信濃にもある

(反歌) みすずかる中信濃なる塩尻の広丘にある歌のふる郷(終)

追記五月十三日(金)
松本電鉄の本社について、庶務部のほかに総務部があったのか訊いたところ、総務部の下に課が三つあり、庶務課、経理課、厚生課だったさうだ。軌道部については、鉄道部の下に軌道があったのか曖昧だった。
今回総務部について訊いた理由は、総務課と人事部は不要と云ふ特集を組むためだった。

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