千七百一(歌) 地元の話題(うお坐が閉店、南高循環、蕨操車場、田島団地と六辻循環、美女木砂田切と戸田車庫)
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
三月六日(日)
昨年八月末に、国道沿ひの「魚河岸寿し うお坐 浦和南店」が工事に入った。休店して改装だらうと思ってゐたら、焼き肉レストランになってしまった。気に入った店で、家族で何回か食べに行ったのに残念だった。
国道を走る車と 地域でも和食のファンに愛された 魚河岸寿しのうお坐には 数回食べに行きたのち コロナ騒ぎで閉店となる

(反歌) 外観と中が和風で下駄箱があるも一位はその美味しさだ
インターネットで調べると、十五種の異なった外食店名がある。しかし「魚河岸寿し うお坐」はここだけだったらしく、消滅した。
会社は、大阪ガスの100%出資の近畿冷熱で一九七四年に設立。一九八七年に外食産業に進出し、二〇一五年にレストラン会社の子会社となった。
会社情報は、前にも見たことを思ひ出した。「大阪ガス」をかすかに覚えてゐた。「魚河岸寿し うお坐」をそのときも気に入ったのだらう。

三月七日(月)
昭和四十年代後半は国際興業のバスに、北浦和駅から南高循環のバスがあった。戸田車庫を通らないから、浦和車庫が担当したのだらう。
旧中山道が国道を六辻で超えたあと、すぐ左折するのが旧中山道だが左折せず直進し、浦和市立南高校の前を通り、辻の工場街(今は小学校と宅地)を抜けて旧中山道に左折したのだらう。南高校は「赤き血のイレブン」のモデルだった。
このバスは、北浦和や浦和から南高校、工場街への通学、通勤に便利だし、浦和市の南西部から中心部を通り北部に行くにも便利だ。旧中山道を走る便利なバスが廃止になった。ベッドタウンでは一番近い国鉄(当時)駅との往復だけの毎日になる。
北浦和中山道で六辻まで 旧道走る乗り合ひは 宅地化により消滅をした

(反歌) 東京へ通勤人が多くなり市内を結ぶバスが無くなる

三月八日(火)
蕨操車場も無くなった。国道上で浦和市境から少し蕨に入った位置にあった。浦和駅前から蕨操車場までバス(浦19)があった。浦和駅前通りをすぐ南へ曲がり旧中山道に入る。途中で西に曲がって国道に合流した。これとは別に、浦和駅前通りを西へ進み国道を南下して池袋駅北口に行くバス(池23)もあった。
どちらのバスも確か二十分間隔だったから待つのに苦にならず、浦和駅前の乗り場はまったく離れた場所だった。
蕨操車場から国道を南下し、赤羽駅東口に行くバス(赤07)もあった。これほど便利な蕨操車場なのにインターネットで調べると昭和六十(1985)年に廃止され、法華田と停留所名が変はった。
池袋駅北口までのバスは、昭和四十八(1973)年十月に高島平操車場までに短縮され(浦20)、更に西川口駅に短縮され(インターネットではその前に一年二ヶ月戸田公園駅に短縮されたが、これは知らなかった)、平成二(1990)年に廃止された。つまり、浦和駅から国道を南下するバスが半減した。
浦和駅中山道を南下して市境に行くバス路線二つあったが一つ減り本数までも半分になる。


三月九日(水)
かつて、南浦和駅西口から田島団地までバス(南浦01)があり、主要路線だった。インターネットで調べると急行(南浦02)もあった。夕方は、南浦和駅の階段下まで乗車を待つ列が続いたこともあった。昭和四十七(1972)年に武蔵野線が開通すると乗客が激減した。昭和六十一(1986)年に、南浦和から田島団地を経由して浦和駅に行くU字型の路線になり、このとき急行(南浦02)は廃止された。そして十三年後(1999)に(南浦01)も廃止された。(浦10が浦和駅西口から田島団地まであったが、これとU字型との関係は不明)
(南浦01)の後継に近いのが(南浦08)で、最初は「六辻循環」だから田島団地とは無関係だった。午前中は「白幡回り」、午後は逆向きの「辻五反田回り」で、国道十七号付近の通勤通学客を南浦和まで運ぶバスだった。ところが埼京線が出来て、乗客数が減った。そのため昭和六十一(1986)年に、午前午後とも辻五反田回りで国道十七号を大里まで行き、左折して田島団地に行く路線になった。(南浦01)が廃止されると、停留所数で二つ遠回りするものの南浦和と田島団地を結ぶ唯一のバスになった。
尤も国際興業は、そこまで考へなかったのではないか。六辻循環に武蔵浦和までの客を上乗せし、併せて田島団地から武蔵浦和までの客は(南浦01)を減便すると吸収できないから、二つの路線を継ぎ足した。
荒川の東側なる田島には二千世帯の団地あり七年間はバスのみで武蔵野線が開通後人の流れが大きく変はる

(反歌) サクラソウ田島ケ原に自生するかつての浮間戸田では死滅

三月十日(木)
浦和市西南部は、国道十七号に沿って南北に走るバスと、国道を横断して東西に走るバスがあり、後者の最南は南浦和駅西口から六辻経由戸田車庫行き(南浦07)だった。(平成十五(2003)年に、文蔵、郷前を通らず駅前通りを短絡した。外環道路により切り捨てられた美女木砂田切も通らなくなった。)
平成十五(2003)年に、(南浦07)とほとんど同じで終点と一つ手前だけ異なる「イオン北戸田ショッピングセンター」行き(南浦01)(五年前に南浦01が廃止されたので番号だけ流用。路線はまったく異なる)が新設され、本数は(南浦07)とほぼ同じだった。つまり(南浦07)が一気に倍増したのと同じだった。ところがその後、(南浦07)がダイヤ改正の度に少なくなり、今では1.5往復のみになった。
戸田車庫の手前は順に砂田切中央水路稲に関はる
(終)

資料集(都県境を越えるバス路線)
戸田橋(国道十七号中山道)
戸田車庫発高島平操車場(戸田車庫、美女木砂田切、中央水路、市営住宅入口、錦町六丁目、西小学校、錦町五丁目、第二中学校、蕨駅前通り、錦町一丁目、上戸田稲荷、戸田中央通り、前新田、戸田ボートレース場入口、戸田公園、戸田橋、舟渡町、志村橋、三軒家、東坂下、蓮根中央、西台駅、高島平九丁目、高島平操車場)

浦和駅西口発高島平操車場(浦和駅西口、県庁通り、県庁前、検察庁前、東の台、別所坂上、大里、白幡、根岸五丁目、六辻、辻五反田、東谷田甫、法華田、北町五丁目、北町交番、蕨駅前通り(ここから先は上記と同じ)

赤羽駅(東口)発蕨駅西口(赤羽駅東口、赤羽交差点、放水路、赤羽三丁目、赤羽北一丁目、赤羽北二丁目、浮間橋、区境、小豆沢公園、小豆沢通り、志村坂下、志村坂下(車庫前)、東坂下二丁目、二軒家、三軒家、志村橋、舟渡町、戸田橋、戸田公園、戸田ボートレース場入口、前新田、戸田中央通り、上戸田稲荷、中央六丁目、さくら保育園入口、中央浄水場、中央二丁目、中央一丁目、蕨駅西口) 上戸田稲荷から蕨操車場まで五つが廃止され、上戸田稲荷から蕨駅西口まで六つが延長された

笹目橋(国道十七号新大宮バイパス)
南浦和駅西口発高島平駅(南浦和駅西口、根岸北、神明台、白幡坂上、白幡中学校、大里、計量検定所、沼影、家附、鎧、曲本、内谷、美女木、美谷本小学校入口、堀の内、修行目、天王公園、下笹目、笹目、聖橋、早瀬、西高島平駅、高島平七丁目、高島平駅南口、高島平駅)

これ以外に、成増駅(南口)-西川口駅(西口)、成増駅(北口)-北戸田駅-蕨駅(西口)、成増駅(北口)-戸田車庫

(見沼代用水と地元の話題、二十八)  (見沼代用水と地元の話題、三十)

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