千六百九十九(歌) 唯物論と宗教はアヘンだ
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
三月四日(金)
唯物論と宗教はアヘンだ。これが今回の特集である。唯物論とは、現代では資本主義とリベラルだ。弁証法的唯物論は、資本主義と云ふ唯物論に反対するものだから、アヘンではないかもしれないし、唯物論への反対が不十分だから、まだアヘンかもしれない。
宗教とは、反科学でありながら社会と隔離したものだ。反科学で社会に溶け込んだものは、アヘンではない。例へば正月に門松を立てて、おせち料理を食べる。科学では説明できないが、社会に溶け込んだものだから、アヘンではない。
宗教と唯物論は有害だ近年になり出てきた思想

かつて科学が発展しなかった時代には、宗教の多くは反科学ではなかった。だからこの時代の宗教はアヘンではなかった。

三月五日(土)
唯物論と宗教は紙一重だ。薬を飲むと病気が治る。これは科学であり、唯物論でもある。拝むと病気が治る。これは科学では証明できないから、宗教だ。但し社会と融合したものは除く。
私自身は、比丘など自身を宗教に捧げる人たちへの応援は、ご利益があると思ふ。俗人は子孫を残す。比丘などはそのことを宗教に捧げるのだから、さう云ふ人たちを応援すればご利益がある。
この思想の根底には、好いことをすれば好い結果があるし、悪いことをすれば悪い結果がある。

三月六日(日)
昨日まではご利益があるかないかで、唯物論と宗教を比較した。別の比較法として、科学で認識できるもの以外に生物はゐるかどうかを見よう。
天には天の神々がゐるし、地上には地上の神々がゐる。神々のほかに、迷ひ霊もゐるし悪鬼もゐる。これがインド、中国、日本の昔からの考へ方だ。昨日までに述べたやうに、社会が受容するものだから、ここではこれを宗教とは呼ばない。
宗教とは呼ばなくても、唯物論ではない。これがあるべき姿だ。我々の周りには、神々や迷ひ霊や悪鬼までゐる。それが解れば悪いことはできない。
世の中は霊や神々悪鬼など棲む処にて心を正す


三月七日(月)
脳細胞の集まった処に意識が生まれる。これは唯物論だ。大脳の無いところに、意識が存在するかどうか。これは科学では分からない。ここに悪い意味での宗教ではない非唯物論が存在する。悪い意味での宗教は、分かりやすく云へば、ご利益があるとする教へだ。
人類を除く生きとし生けるもの唯物論だ餌と本能

人間以外の動物は、思考能力の高低はあっても、唯物論だ。但し犬は人間との関係を持つから、唯物論ではない部分も大きい。
人間以外の動物は、脳が人間より小さいため、唯物論として行動するし、そもそも唯物論だと思ふはずがない。人間は十分に頭があるのに、唯物論を信じて中毒患者になる人が、今の世は続出する。過去の世は、宗教を信じて中毒になる人が続出したが(宗教戦争や、宗教の堕落、魔女裁判など)。

三月十一日(金)
中毒を詳細に見よう。まづ唯物論のうち、資本主義だ。地球を滅亡させるのに、自由だ民主主義だと叫ぶ。とんでもない中毒だ。二つ目は、リベラルだ。これは人類の社会関係を破壊するし、そもそも地球破壊による恩恵でのみ存在する思想だ。
ここで今の世は資本主義だから、資本主義に関係することは問題ない。会社を経営することも、そこに雇用されることも問題ない。問題なのは、地球を滅亡させるくせに自由だ民主主義だと叫ぶ中毒者である。
三つ目は宗教だ。昔から続くものは社会に溶け込み、これは狭い意味での宗教ではない。だから中毒にはならない。私が、南伝仏道を学ぶときは南伝の国々の人たちを学ばなくてはならないと主張する理由はここにある。南伝の国々の人たちを学べば社会に融合したものを学べる。自分たちでやれば、社会と隔離したものを作ってしまふ。
イギリスが世界を支配したときにアヘンを使ひ清国は大混乱に今は収まる
(終)

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