千六百九十九(和語の歌) 島木赤彦を特集すべきか迷ふ
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
三月二日(水)
左千夫の次は島木赤彦を特集しようと思った。その後、永塚節を特集し島木赤彦は中止に決めた。
子規、左千夫、節で一つの時代だ。歌風も同じだ。人が違ふのだから歌に違ひがあるが、一人一人の範囲を合はせると、多くが重なる。
歌だけではなく、人生も同じだ。子規と左千夫と節は、天才の人生だ。それと比べて赤彦以降は、秀才の人生になる。
古今集以降がつまらなくなるのは、貴族の歌が多いからだ。貴族は生活に苦労しない。赤彦も教員だから、仕事に苦労しても、生活には苦労しない。
節の実家は豪農で、実父は県会議員だから、節も収入には苦労しなかった。或いは父親が県会議員で借金が多く、家を傾けたと云ふ話は残る。それより節は病気で苦労した。
赤彦は 時に信濃で賑はひた歌詠み人の一人にて 水穂左千夫と知り合ひて 後に左千夫の流れ広める

(反歌) 赤彦は氷牟呂併せたアララギを左千夫亡きあと茂吉と守る

三月三日(木)
島木赤彦は退職を計画し、その準備として養鶏業を始める。しかし半年後に失敗する。生活に苦労しなかった訳ではなかった。赤彦は教員を続け、校長、視学になる。
ここは赤彦の人生ではなく、歌から判断すべきだ。「伊藤左千夫・長塚節・島木赤彦集」を読んだが、佳いと感じる歌が少ない。大正四年から始まるためか。子規や左千夫の時代は昔になった。
はるばるに帰り来りて戸を叩き梅雨(つゆ)の草家の眠りは深し

「梅雨の草家の眠りは深し」が美しいが、その前の「はるばるに」は情報密度が薄い。何か月ぶりか分かる情報を入れられないか。
政彦の足音ききて鳴きしとふ山羊(やぎ)も売られてこの家になし 亡子をおもふ

仏足石歌だ。
ひと平(ひ)らに氷とぢたる湖に降り積める雪は山につづけり

「氷とぢたる湖」「山につづけり」が美しい。
赤彦は職(つと)めを辞めて信濃から東都(あづまみやこ)でアララギの為


三月四日(金)
今回は「伊藤左千夫・長塚節・島木赤彦集」のほかにもう一冊「赤彦全集 第一巻」を借りてあった。左千夫の次は赤彦を特集する予定だったためだ。こちらは第一章が「馬鈴薯の花以前」で、明治二十六年から明治四十二年だ。ここには、これと云った歌がない。歌集ではないため、選歌してゐないものが多い、と予想した。
第二章「馬鈴薯の花」の最初は「上高地温泉」で、四首載る。そのうちの
久方の朝あけの底に白雲の青嶺(ね)の眠り未だこもれり

「久方の朝あけ」「白雲の青嶺の眠り」「未だこもれり」は美しい。「底」は疑問がある。山頂の朝あけに対し、底とは上高地の地面だらう。「青嶺の眠り」は山腹にあり、地面には無いと批判してしまふ。山影の暗さが地表にある、と自分に言ひ聞かせた。一つ前の
森深く鳥鳴きやみてたそがるる木の間の水のほの明りかも

「木の間の水のほの明り」が引っ掛かる。実際の風景はさうだったのだらう。しかし水は自ら光る訳ではない。何が反射したのか。それを書かなくてはいけないが、書くとたいした歌ではなくなってしまふ気がする。橙色の歌を除いても、四首中一つで25%だから、悪くはない。
ところがこのあと、佳い歌がなくなる。写生に注力し、表現の美しさがない。上高地温泉は景色が美しいからそれでよいが、街中の出来事だと不十分だ。
旅に出て詠む眺めには美しさだが街の歌美しさ無し


三月五日(土)
ずっと佳い歌が見つからず「番町の家 一」の
霰(あられ)ふる冬とはなりぬこの街に借りてわが住む二階のひと室(ま)

「霰(あられ)ふる冬とはなりぬこの街に」「借りてわが住む二階のひと室」両方美しい。もし「この街に」を後半に分けたら、美しさが半減するだらう。
「本所の道」に
先生のむかしの家の前をとほり心さびしも足をとどめず
先生の心をつぐに怠りのありと思はず七とせ過ぎぬ

左千夫と赤彦の関係深きを詠んだ。このあとも「亀戸」「先生を思ふ」の段落が続く。
旅籠屋(はたごや)のうらより見れば森おほき安曇国原暗くこもれり

「うらより見れば森おほき安曇国原暗くこもれり」すべて美しい。同じ段落に
はたご屋の朝あけ寒しくきやかに木のかげをなすもろ葉の光り

「朝あけ寒し」「木のかげをなすもろ葉の光り」が美しい。
暁の霧のなかより近づける冬田つづきの朝に音なし

「霧のなかより」「冬田つづき」が美しい。
冬空の日の脚いたくかたよりて我が草家(くさいへ)の窓にとどかず

「日の脚」「かたよりて」「とどかず」が美しい。
わが家の池の底ひに冬久し鎮める魚の動くことなし

「冬久し」「鎮める魚」「動くことなし」の工夫が美しい。
大正八年辺りから急に佳い歌が出てきた。私は、子規、左千夫と同じ調べになったと見た。
赤彦が子規や左千夫に為りたかと勇み喜び明日が楽しみ


三月六日(日)
ところがその後は、再び前の状態に戻る。赤彦は左千夫を先生と呼び、茂吉を友と呼ぶ。アララギの編集に長く携はった。と云ふことは、私と赤彦の美しさへの感じ方が異なるのだらう。子規や左千夫の歌を読んで、美しいと感じるのは5%だから、子規や左千夫とも異なると解釈することもできる。しかし私は子規や左千夫とは同じだと思ふ。
定型にすること自体が一つ目の美しさだ。二つ目はたくさんある。二つ目の種類が同じでも歌自体を美しいと感じるかは分からない。例へば万葉風の古語を用ゐたときに美しいと感じる歌と感じない歌がある。そのため、感覚が合ふのは5%程度になる。
赤彦の美しさへの覚えとは私が目指すものと異なる
(終)

「良寛と會津八一、和歌論」(兼、五十五の二)へ  「良寛と會津八一、和歌論」(五十六の二)歌(二百三十九の二)へ

メニューへ戻る 歌(二百三十八)へ 歌(二百三十九の二)へ